>仏教美術再評価と近代日本画―350―――安田靫彦筆「夢殿」に見る聖徳太子顕彰――研 究 者:東京国立近代美術館 工芸課 客員研究員武蔵野美術大学 非常勤講師 三 上 美 和はじめに「夢殿」(大正元年・1912、東京国立博物館蔵)〔図1〕は、日本画家安田靫彦(明治17年・1884−昭和53年・1978)により、夢殿と称される、法隆寺東院伽藍正堂にまつわる聖徳太子(以下太子とする)の伝説を主題とする。本作品は第6回文部省美術展覧会(以下文展とする)で最高の2等賞となった初期の代表作であり、発表当時から今日まで高く評価されている。本作品は、横浜の豪商であり古美術の大コレクター、近代美術のパトロンであった原三溪(慶応4年・1868−昭和14年・1939)によって、当時としては破格の1500円で買い上げられた(注1)。靫彦は本作品の描かれる前年、三溪の援助を、盟友である日本画家今村紫紅、前田青邨と共に受けていることから、援助の最初の成果としても特筆される。靫彦は生涯を通じて歴史画を描いており、「夢殿」も初期の歴史画として、晩年に至る画業の先駆的な位置付けがなされているものの、これまで作品解説以上のまとまった考察はなされてこなかった(注2)。本作品は現在、明るい色彩、点描といった当時における斬新な表現が注目されがちであるが、詳細に見ていくと、太子像に古くから用いられてきた約束事も盛り込まれている。ここに、近代の新たな太子像を鑑賞者に理解させようとする、靫彦の明確な意図が感じられる。本稿では、本作品におけるこのような靫彦の創意工夫が、やや保守的な美意識の三溪を始め、当時の鑑賞者に広く受容される要因となっていたことを指摘する(注3)。さらに、靫彦が「夢殿」をテーマにした背景を、靫彦個人と近代における法隆寺の普及活動、仏教遺物の古美術としての需容の広がりといった、同時代の社会的要因の両面において探る。そして、本作品が近代における太子信仰を背景とした近代の太子像であったことを明らかにする(注4)。1「夢殿」の分析(1)主題の確認と画題の検討
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