鹿島美術研究 年報第23号別冊(2006)
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―364―1〕の第4列以降のデータである。この分類については、それぞれの能装束が何枚の裂を縫い合わせているかを調査し、縫いあわせた裂が同じ形状を持つ場合には、それを1件として考えることとした(注6)。区分けされたそれぞれの裂の文様は、より詳しく記載し、具体的にどのような色と文様の裂が使用されているのかを見分けしやすいように配慮した。〔表1〕では、16件の布帛に分類され(A〜Q)、銀襴・黄緞・緞子のそれぞれの特色は以下のように考えられる。銀襴については、通し番号(〔表1〕第4列)1〜14番、18〜20番、25〜28番の銀襴はすべて同じ蓮鳳凰菊花縞文様で、地色は赤茶色、紺色、縹色、水色の4種類ある。その内、1〜3番、8〜14番、18〜20番、27番は色も同じ赤茶色である。しかし、同じ文様で同じ地色でも、織銘や経糸の状態などから、4種類に分類できる。すなわち①経糸がZ撚、緯糸が無撚で「袁思誠」の織銘が織り出されたもの(A)②経糸・緯糸ともに無撚で「袁思誠」の織銘が織り出されたもの(D)③経糸がZ撚、緯糸が無撚で「袁思誠」の織銘が左右反転に織り出されたもの(E)④経糸・緯糸が共に無撚で「陸小恵」の織銘が織り出されたもの(J)⑤経糸・緯糸が共に無撚で「陸小恵」の織銘が左右反転に織り出されたもの(F)である。同様に縹色の同模様の銀襴にも、①経糸がZ撚、緯糸が無撚で「袁思誠」の織銘があるもの(B)②経糸・緯糸ともに無撚のもの(C)の2種類に分類できる。以上、同じ文様の銀襴でも赤茶地が4種類(ADEFJ)、紺地が1種類(P)、縹地が2種類(BC)、水色が1種類(O)、合計9種類の銀襴が使用されていることがわかる。他に銀襴は、通し番号21番の紺地牡丹唐草文様銀襴(K)、通し番号22番の縹地梅花唐草文様銀襴(L)、通し番号23番の縹地雲丸文様銀襴(M)の3種類がある。合計12種類の銀襴に共通して言えることは、平金糸の織り込み方が半越地絡である点、織幅は約54cm以上の広幅である点、また、文様を織り出す平銀糸はやや太めで扁平な漆箔糸である点である。尚、類裂として、同様の文様でありながら、緯糸が木綿糸である黄緞の銀襴が、根津美術館に所蔵される秋野蒔絵手箱(南北朝−室町時代)の内貼り裂にあり、これにもまた「袁思誠」の織り出し文があるという(注7)。同じ工房の中で地色を変えたり、経糸の撚りを変えたり、あるいは緯糸を絹糸ばかりではなく木綿糸に変えたりと、さまざまなヴァリエーションで製作していたことをうかがわせる。尚、〔表1〕の裂の通し番号22番の銀襴は、小さな裂を何枚も継いでいるが、明徳元年(1390)足利義満が熊野速玉神社に奉納した蘇芳地銀

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