鹿島美術研究 年報第23号別冊(2006)
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@康煕年間の琺瑯彩における「満」「漢」「洋」の表象―373―――漢人高官への下賜品としての側面――研 究 者:昭和大学 非常勤講師  柏 木 麻 里1.問題の所在琺瑯彩は、清王朝時代(1644−1911)前期、康煕・雍正・乾隆の三代を中心に、紫禁城養心殿に置かれた宮廷工房、造弁処で製作された工芸品で、金属器〔図1〕〔図2〕)・ガラス器・陶磁器〔図3〕〔図4〕〔図5〕〔図6〕の三種に絵付けをした作品がある。本研究は特に、開始時期にあたる康煕年間(1662−1722)の琺瑯彩(以下「康煕琺瑯彩」と呼ぶ)を対象とする。康煕琺瑯彩の意匠は、濃密な賦彩で花卉を描くものが多い。雍正年間(1723−35)の琺瑯彩が、中国の伝統的な花卉画や山水画の形式に基づくのに比べて、康煕琺瑯彩では、花卉文の描画に際して、絵画的な再現性や空間表現よりも、図案的に処理する意匠が目立つ。その意匠構成と色彩は、むしろ1700年頃の欧州の無線七宝の意匠に共通点をみいだしうるものである。琺瑯彩研究の動向は、これまでのところ、技術的起源が、康煕年間にイエズス会士を通じてもたらされた欧州の無線七宝にあることと、成立時期の問題に集約される(注1)。十八世紀初頭の成立時期がほぼ解明された現在、次なる段階として、琺瑯彩を康熙帝の宮廷芸術および陶磁史、清朝美術史といった大きな枠組みへ結びつけてゆく視点の深化も求められよう。報告者は、以下の二つの点から調査研究を行った。まず、康煕琺瑯彩の用途の一つに、康煕帝から漢人高官への下賜があったことを述べる。次に、康煕琺瑯彩の絵付けが行われた陶磁器の種類に注目する。康煕琺瑯彩の特色として、景徳鎮官窯製の白磁(磁胎琺瑯彩)に加えて、宜興窯の茶壺・碗に絵付けをした作品群(宜興胎琺瑯彩)〔図5〕〔図6〕〔図7〕が知られている。従来宜興胎の使用は、琺瑯彩の絵付技術が未熟であったため、景徳鎮窯白磁よりも平滑性に乏しく絵を描きやすい宜興窯製品が使われたと技術的側面から説明されてきた。しかし報告者は、清朝前期の陶磁器享受に関する日記・随筆・花書・白話小説などを調べるうち、宜興窯製の茶器が、漢人文人の間で古代の青銅器にも並びたつ高い価値を有し、文人精神の象徴的陶磁器と考えられていたことに気づいた。以上の二点、漢人高官への下賜と、当時の文人社会における宜興窯茶器の価値という点を踏まえて、報告者は、満州民族による異民族王朝、清王朝の宮廷芸術であった

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