鹿島美術研究 年報第23号別冊(2006)
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『康煕朝漢文x批奏摺彙編』中国第一歴史档案館編、档案出版社、1984−85■陳元龍の事跡については以下の文献を参照した。『中国歴代棒眼』責任編集・馬成翼、解放軍■『清朝野史大觀』(上)巻一、江蘇廣陵古籍刻印出版、1994年■『中国雅趣品録 宜興茶具』鴻禧芸術文教基金会、1990年■張岱著、松枝茂夫訳『陶庵夢憶』岩波書店、2002年■夏仁虎『秦淮志』(『南京文献』〈複製本〉八册所収)上海書店、1991年■石橋崇雄『大清帝国』講談社選書メチエ、2000年岡本さえ『近世中国の比較思想』東京大学出版会、2000年岸本美緒「清朝の平和」岸本美緒、宮嶋博史著『明清と李朝の時代』第7章〈世界の歴史12〉、―378―注Jourdain, Margaret and Jenyns, Soame, Chinese Export Art in the eighteenth Century, London, 1950「洋」意匠は、異民族王朝の宿命である「華」と「夷」の対立構造、民族的には「漢」彩は、西洋をも凌ぐ康煕帝の威信として受け取られたと、それが真情であるかはともかく、少なくとも、そのように受け取ったという意思表明が、漢人高官から康煕帝へと上奏されている。つまり御製琺瑯彩製品は、西洋風の技法と意匠という「洋」の表象によって、西洋からもたらされた最新の技術力を康熙帝が自在に操り、それを凌駕したという、康熙帝の権威象徴として、康熙帝と漢人高官の間を流通したのである。康熙帝膝下の宮廷工房で製作されたからといって、直ちにそれを皇帝本人の趣味、玩器と解することはできない。康熙帝は、当時北京に滞在した欧州人イエズス会士の書簡に、その起居の苛烈なまでの質素さが特筆された人物である。生活態度と同一視はできないにしても、華麗な琺瑯彩は、康熙帝の個人的趣味というよりも、むしろ帝の文化政策の一環ととらえる方が、その意味を正しく理解できるように思われる。琺瑯彩を、康煕年間の清王朝が置かれた社会的・政治的文脈の中でみるならば、その文化と「満」人皇帝という構図の中で、王権の威信を表象する役割を荷ったと、報告者は考える。Jenyns, Soame and Watson, William, Chinese Art, The Minor Arts,Fribourg, 1963朱家y「清代画琺瑯器制造考」『故宮博物院院刊』1982−3出版社、2003年中央公論社、1998年

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