鹿島美術研究 年報第23号別冊(2006)
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Aカラヴァッジョの少年像の研究―381―研 究 者:東北大学大学院 文学研究科 博士課程後期  加 藤 奈保子1 本研究のねらいカラヴァッジョ(1571−1610)は画歴の初期から私的な注文を受けて単独あるいは複数の少年の半身像を制作し、はじめての公的な委嘱となるコンタレッリ礼拝堂の壁画制作(1599−1600)を手がけてからは少年を全身像で描くようになった。これらの少年像は鑑賞者にむかって画中から視線を送るという点で共通している。かつて、フランシス・ハスケルは少年たちの醸し出す官能性が画家自身あるいはパトロンのホモセクシュアルな性癖を反映していると指摘し(注1)、その後多くの研究者がこうした観点から各作品の図像解釈に取り組んできた。たしかに、観る者を誘惑するエロティックな少年の描写は絵画に注意をひきつける一つのきっかけとなっているが、関連史料が乏しいため、同性愛または少年愛の問題を少年像の形成過程に結びつけてアプローチすることからは、それ以上の実りある成果は期待しがたい。むしろ、こうした作品が当時の個人コレクションのなかで視覚的にどのような役割を担っていたのかという問題を解明していく作業をとおして、これら少年像にこめられたカラヴァッジョの芸術性が浮かび上がってくるのではないだろうか。近年では、少年像をはじめとするカラヴァッジョ絵画を所有していた各美術愛好家のコレクションの再構成が行われ、次第に彼らの芸術的嗜好が明らかにされつつある。しかし、そのなかで期待された少年像の機能、そして半身像から全身像への表現形式の変化を促した要因について具体的に議論されることはほとんどなかった。本研究では、カラヴァッジョを取り巻く美術愛好家たちのコレクションの分析をとおして、画家および注文主が意図した少年像の役割を明らかにする。また、少年像の形式の転換には、コレクションに対する画家の意識の変化が作用していることを示したい。2 初期少年半身像1592年の夏以降、故郷のロンバルディアを出発したカラヴァッジョは、1593年、画家カヴァリエーレ・ダルピーノ(1568−1640)の工房に迎え入れられ、約8ヶ月間彼のもとで過ごした後、1595年頃から彼にとって最大のパトロンとなるフランチェスコ・マリア・デル・モンテ枢機卿(1549−1626)の屋敷に逗留している(注2)。ダルピーノのもとで、カラヴァッジョは2点の少年半身像《病めるバッコス》〔図1〕と《果物籠を持つ少年》〔図2〕を描いた。このことは、1607年5月、教皇パウ

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