―382―ルス5世の命によりダルピーノの絵画コレクションが没収された際に作成された目録から知ることができる(注3)。どちらの作品も、一人の少年に静物表現が組み合わされた単純な構図であり、肉体の描写には解剖学的なつたなさが認められる。ダルピーノは画家を生業としていた点で美術愛好家とは一線を画するものの、ローマの自宅兼工房には多数の絵画作品が集められており、みずからの創作活動に役立てることも目的としていたのかもしれない。カラヴァッジョが滞在していた時期すなわち1593年頃のダルピーノのコレクションを再現することは難しいが、1607年のリストでは半身像あるいは顔だけをクローズアップした肖像画〔図3〕の点数が目立ち、果物や花をモチーフとした作品〔図4〕も少なからず記載されている。当時のローマでは珍しく、北イタリアで発展した半身像と(注4)、クレモナの画家ヴィンチェンツォ・カンピが得意としたような静物表現は、ミラノで修業時代を過ごしたカラヴァッジョにとって馴染み深いものであった。《病めるバッコス》と《果物籠を持つ少年》は個人の委嘱によって制作された絵画ではない。有力者の知遇を得て精力的に活動していたダルピーノと異なり、無名の画家であったカラヴァッジョはロンバルディアでの記憶とダルピーノのコレクションを手本にし、自分の画家としての力量を試すため自発的にこれらの作品を生み出したのである。一方、1595年から96年頃、デル・モンテ枢機卿のもとで描かれた少年像《若者たちの奏楽》〔図5〕と《リュート奏者》〔図6〕の図像形成をめぐって、そこには枢機卿の音楽に対する関心が反映されていると繰り返し指摘されてきた(注5)。実際、枢機卿はエミリオ・デ・カヴァリエーリをはじめとする音楽家たちと親交を結び、彼らは音楽に関する著作を枢機卿に献呈している。枢機卿の死後、1627年に作成された財産目録によると、カラヴァッジョの《リュート奏者》は女性の肖像画12点とともに、ホントホルストやアンティヴェドゥート・グランマティカの手になる音楽を奏でる人々を描いた作品〔図7、8〕、およびグランマティカの《パルナッソス》と同じ部屋に飾られていた(注6)。アポロとムーサたちの聖地パルナッソスとカラヴァッジョらの絵画は音楽というテーマで結びつき、さらに貴婦人の肖像を並べることにより、華やかな演奏会の様子が再現されているようだ。また、別の部屋では、《若者たちの奏楽》が風景画やヤコポ・デ・バルバリによる巨大なヴェネツィアの地図とともに鑑賞されていた。ヴェネツィアで発展した演奏場面の表現形式を受け継ぐ《若者たちの奏楽》(注7)と風景を描写した作品の組み合わせからは、部屋のなかにノスタルジックな雰囲気を作り出そうとするコレクターの意図がうかがえる。このように、依然として北イタリアの絵画様式を色濃く残す少年半身像には、デル・モンテ枢機卿の屋
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