鹿島美術研究 年報第23号別冊(2006)
402/589

―392―劇”、“諷刺劇(サテュロス劇)”であり、アルベルティも同様の区分について述べている。セルリオによるこれら遠近法画は、その構想の多くを師ペルッツィに負っている。バルダッサーレ・ペルッツィは1481年シエナに生まれ、1514年頃から舞台背景を手がけ始めた。彼は舞台の左右に背景画を並べて、舞台空間に奥行きを与えるリアリスティックな遠近法効果を得ることに成功した〔図1〕(注1)。ウィトルウィウスの演劇空間は、こうしてペルッツィの手によって近代的な舞台背景となって生命を与えられた。むろんその伝播にはセバスティアーノ・セルリオによる『建築五書』(1545年)が大いに貢献し、スカモッツィらに至る俗劇のスタンダード・スタイルとなった(注2)。それらはウィトルウィウスによる、三つの入り口をもつスケナエ・フロンスの再現を基本とし、中央からは主役が登場し、袖(パラスケニア)からは端役が登場した。そしてペルッツィを中心に確立されていった、“舞台の左右に並べる書き割り”や“都市景観”、そして何よりも“中央一点消失遠近法による厳密なルネサンス的左右均衡空間”が俗劇空間における不可欠な要素として成立した。行列と水平性固定視点を必要としないタイプの演劇は、もともと遠近法とは無縁であった。外交使節の歓待のために1573年に催された祝宴の図版などが残っているが、ホールの中央で主人公たちが演ずる形式のものは全方位からの鑑賞を前提としており、視点を固定することは不可能である(注3)。よって当然ながら舞台背景も必要としない。年代が示す通り、このタイプの演劇がプリミティヴなものというわけではなく、単純に演劇の内容から求められる空間性の需要の問題である。遠近法と舞台装置の関係は、演劇のタイプとそこから来るニーズによって決定されるのだ。同様に、凱旋行進のような横長の行事を記録する場合には、当然ながら横長の画面の中で水平方向への視点移動をうながすことが画家の目的となっている。移動宮廷のシステムがあった時期から、入市式は重要なイヴェントであり、頻繁におこなわれていた。たとえばフランスでは、ブルゴーニュ公やフランソワ一世などが宮廷移動と入市式を繰り返し、シャルル九世にいたっては100回以上もこうした大行列による式典をおこない、そしてこの類の入市式の最後をしばしば演劇が飾った(注4)。こうした行列をすべておさめる横長の画面では水平性こそが重要であり、デネーイス・ファン・アルスロートによる<イザベッラの凱旋行列>のように、あたかも日本の絵巻でみられるような並行透視が用いられたかのような絵画まであった〔図2〕。

元のページ  ../index.html#402

このブックを見る