鹿島美術研究 年報第23号別冊(2006)
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―393―水平性と行進という点では、ジュゼッペ・マリーア・ミテッリらによる舞台背景画のように、群集をおさめるべく水平性を重視した舞台演出家たちが、同時に凱旋劇も手がけていることは興味深い(注5)。あるいはアルフォンソ・パリージによる<地獄とケンタウロスたちの踊り>(1637年、ヴェネツィア、フォンダツィオーネ・チーニ)などのように、群集によるダンス舞台などにおいても、同様の水平性への志向を見ることができる。さらに、ル・ノートルのような宮廷建築家は、大がかりな行列祝典の演出を手がけ、また同時に宮廷演劇の舞台演出も多くこなした。彼がヴェルサイユ宮殿の設計の際に、細長い空間を水平方向へさらに倍加する“鏡の間”のようなアイデアを採り入れていることは興味深い。17世紀以降、バレエや仮面劇、メロドラマといった多様性が演劇へともちこまれ、大衆化とともに劇場の大型化を促進する。パルマのテアトロ・ファルネーゼは常設プロセニアム・アーチとU字型観客席を持つ最初の劇場となり、その後のミラノのスカラ座など、卵型や馬蹄形観客席へと発展していく。1618年から19年にかけて、ジョヴァンニ・バッティスタ・アレオッティ、通称アルジェンタがせり出し舞台や可動式セットをテアトロ・ファルネーゼで用いている。この可動式セットは後の遠近法のプリズム型背景画へとつながる最初の一歩といえる。劇場の大型化は棚状の桟敷観客席(ます席、cavea a palchetti)の導入によって加速する。これを導入した先駆者の一人アンドレア・セギッツィ(1613−1684)は、1640年と1653年にボローニャで二つの先駆的な近代的劇場を作ったことがわかっているが、これらはその後失われた。しかし1673年にセギッツィとフェルディナンド・ガッリ・ビビエナがパルマで共同作業を手がけたことなどもわかっており、たとえ現存作例が無くとも、セギッツィがその後のボローニャ派主導の演劇空間の成立に大きく貢献したことは明らかである(注6)。彼が導入した棚状観客席は、広場での公的な催しをルーツに持ち(注7)、宗教的儀式や葬儀などの際に広場に一時的に設けられた巨大なコロッセウム状の楕円形桟敷席をその直接の原型とした〔図3〕。固定視点を必要としない演劇スタイルや、行進劇のような流動的な形式とは異なり、こうした大型劇場では、固定された舞台の上で、さまざまな位置にいる観客の視点に応えなければならない。ペルッツィ―セルリオの系統に立つルネサンス的な中央一点消失遠近法による舞台背景画であれば、画面に正対する位置に来る中央付近の観客の視点には応えることが可能だが、舞台に近い位置で左右にいるます席観客の視点からは激しく歪んだものとなる。こうした点で、厳密には中央真向かいからの唯一の視点においてのみ遠近法が完成する一点消失法は、王ただ一人の視点さえ満足させれば良

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