―397―ており、はやくから古代演劇への深い理解を有していた。テアトロ・オリンピコは、中央一点消失遠近法に、ヴィアトール的な二点消失を思わせる左右への奥行き通路を設けていた(注25)。古代風半円形観客席こそ、イニゴ・ジョーンズなど一部の様式上の後継者を除けば、長方形や馬蹄形の主流にとってかわられるが、しかし強調遠近法を用いた舞台での奥行き表現は一種の流行となった。テアトロ・オリンピコの遠近法背景を実際に手がけたヴィンチェンツォ・スカモッツィはパッラーディオの流れをうけ、遠近法を駆使した古代風舞台を手がけた。スカモッツィによるサッビオネータの劇場計画は、こうした強調遠近法の典型例といえる〔図11〕。ヴィニョーラやグイドバルド・デル・モンテによる難解な説明図は、こうした強調遠近の制作方法を説くものである〔図12〕(注26)。他にも、滑稽なほどに遠近法が強調されたエルコレ・ボットリガーリによるもの(注27)など、強調遠近による舞台の作例は数多い。しかし、それには高度な遠近法知識を必要とするため、ペルッツィ以来の単純な並行書き割りによるものも依然として主流を占めていた(注28)。あるいは、カルロ・フォンターナによる舞台配置(1660年)のように、すべてのウィングを斜めにするのではなく、手前の数枚だけに傾きをつける折衷的な方法もあった〔図13〕。さらに、画面奥方向への奥行きを強調するために、ウィングによってではなく、入れ子構造の数枚の枠によって、あたかもコレッジョの天井画のような奥行き効果をもたらす、ドゥブルイユによる舞台装置もあった。こうした大がかりな舞台背景画を、場面に応じて換えていくのは至難の業で、そのためウィングをプリズム状にして回転させるという方法も発明された。ウィングをプリズムにして舞台展開をするこの方法は、すでにヴィニョーラが提示していた〔図14〕(注29)。イエズス会聖劇においては、サルビュースキーが正四角柱を用いていた。これであれば、すべてのプリズムを回転させることで四つの場面の舞台背景の交換が可能となる。さらには、ドゥブルイユは平行四辺形の角柱を導入した(注30)。この方法によれば、一面の面積が大きいだけ、少ないプリズム本数での舞台交換が可能となった。17世紀後半のイエズス会美術において主導的な役割を果たしたアンドレア・ポッツォには、よく似たタベルナーコロの絵が三種あり、いずれもミノッツィやテージらによる葬儀用の舞台装置に酷似している(注31)。これらの葬儀用舞台装置の成立に際して、実際の墳墓彫刻からの影響があったに違いなく、また厳かな聖劇の背景の原型のひとつともなっていることをうかがわせる。ポッツォによる三枚のタベルナーコロは、ひとつの聖劇舞台における三つの場面とも考えられている(注32)。その可能性
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