―398―“上方性の追究”とそれを強調するための“強調遠近”と、おそらくは“プリズム”は高く、その場合、移動用背景画としては大きすぎるため、おそらくはプリズムを用いてこれら三場面の交換がなされたとも考えられる。ポッツォによるこうした聖劇背景画は、前章で見てきたような上方への志向性を色濃く映し出しているものが多い〔図15〕。これは、彼をはじめとする当時のイエズス会による縦長の大祭壇画が同様の構成を持っている点からしても、至極当然のことといえる。一方で、ポッツォによって俗劇用の背景画が詳細に解説されている点は興味深い。彼の書は不親切で難解ながらも詳細な遠近法指導書であり(注33)、舞台背景画についても順を追って説明している。彼の俗劇用の舞台装置は、左右のウィングすべてに傾きをつけた強調遠近によるものである〔図16〕。そこでの舞台が、縦長画面の中で極端な上方への志向をみせる聖劇の舞台とはうってかわって、ごく一般的なやや横長の構図になっていることは注目に値する。そしてなおかつ、左右のウィングにおけるそれぞれの消失点が、中央の一点ではなく、それぞれやや反対側へ離れた位置に来る消失点へと集束する効果を説いた箇所において〔図17〕、彼の俗劇の遠近法は明らかに、ビビエナ一家に代表される“angolo”の二点消失構図を予告している。ここにおいて、ポッツォにおいては、聖俗のふたつの演劇空間を大きく特徴付けるものとして、聖劇においては“縦長画面”におけるによる舞台が、そして俗劇においては“横長画面”における“水平性と奥行きの強調”とそれを助ける“傾きを持たせた強調ウィング”分割ならびに“二点消失”の応用による“angolo”遠近法によって、“複数視点”を満足させんとする意識とが並び立っていることが明らかとなるのである。おわりにマッテウッチも言うように、描かれた建築と実際の建築はおたがいに影響を与えあう(注34)。また、セルリオによる悲劇用舞台と、ポントルモによる<ご訪問>の背景に共通点があることなどをエルキンスが指摘しており(注35)、両者に共通する実際の建築モデルがあったことを想像させる。こうして、墳墓彫刻や実際の行進儀式などから常に影響をうけながら成立をみた演劇空間には、見てきたように聖俗双方の空間によって二つの異なる特質と異なる技法があったのだ。セルリオがヴィアトール的二点消失を知りながらも演劇空間には適用しなかった事実が示すように、これらの技法選択とそれによる演劇空間の創出は、演劇の内容からの需要によってこそ決定されていたことがわかる。同様のことは、ポッツォのような
元のページ ../index.html#408