Cバングラデシュ美術の成立に果たしたチッタゴン派の役割―404―研 究 者:福岡アジア美術館 学芸員 五十嵐 理 奈はじめに本研究は、バングラデシュの国づくりとともに展開したこの国独自の「美術」の成立過程を精査し、さらにその成立に際し地方都市チッタゴンで発展した美術の動向が果たした役割を見出すことを目的としている。バングラデシュ美術の形成は首都ダッカを中心に展開されただけではなく、第二の都市チッタゴンでの活動からも大きな影響を受けていた。港湾貿易の拠点として発達したチッタゴンは、諸外国との交流が盛んな都市であり、ダッカとは異なる独自の美術が発展した。色鮮やかな原色を用い、物語性に富む具象表現を特徴としたチッタゴン派は、自由奔放な独創性と実験精神に富んだ作家たちの集まりだった。このような作品が、暗い色調の抽象画が比較的多いダッカの美術に対して、なぜチッタゴンで描かれるようになったのだろうか。また、バングラデシュ美術に対して、どのような影響を与えてきたのだろうか。筆者はチッタゴン派の実態の把握なしには、バングラデシュの現代美術は語れないと考え、本研究でチッタゴン派の成立過程とその優れた芸術性、バングラデシュ現代美術に占めるその重要性を問いたい。ある国家の独立時に、特定の視覚表現が国の「美術」として価値づけられることは多くの国に共通する現象である。本研究では、ある国の美術の成立を首都など中心が主流を作り出すという「中心−周縁」の思想によって捉えるのではなく、地方都市の美術がその国全体の美術に与えた影響、また地方都市だからこそ自由で独自の発想を花開かせることができたことに焦点をあてる。それは、とかく欧米中心、首都中心主義的な研究に陥りがちな美術史研究に異なる視点を持ち込むものであり、アジア美術研究の深化と発展に貢献するものである。バングラデシュでは、現代美術作家が多く活躍し、また首都ダッカに林立するギャラリーでは展覧会が多く開かれる。そのため、美術評論も盛んで、新聞や美術雑誌などには日々多くの評論が掲載されるが、その一方で美術史的な観点から学術的に現代美術が論じられることは少ない(注1)。ただし、バングラデシュという国自体が1971年に独立した若い国であり、美術の活性化に尽力することに精一杯であったため、作家や展覧会の資料、美術運動の記録などを系統的に収集することが難しかったという状況もあった。アーカイヴを持つ図書館やギャラリーが存在せず、資料や記録のほとんどはバングラデシュの美術が展開していったその時々に関わっていた作家らの自
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