鹿島美術研究 年報第23号別冊(2006)
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―415―右手は画面右方向へと差し出し、その手にはS字に身をくねらせた蝮がぶら下がっている。蝮の下方、背景色面の右下角には、焚き火の薪が積み上げられている。ニンブスを備えたパウロの顔は、長い顎鬚と禿げ上がった額というパウロの伝統表現であるが、顔貌に特に強調された部位は持たず、穏やかに描かれている。パウロの手足は太く柔らかな黒線でくっきりと象られ、ドレーパリーの下にはその手足の続きである頑強な身体が重みを持って看取される。パウロは白衣をまず纏い、次に薄桃色の衣を身につけ、さらに肩からは茶褐色のマントをたっぷりと全身を覆うように掛けている。ドレーパリーは各関節を二重線によって縁取ることで衣の下の身体を暗示すると共に、淡い水色や桃色のグラデーションを用いて各部位の立体性を滑らかに強調している。ドレーパリーは優美な曲線を見せながらそれ自体がリズミカルに律動しているが、最終的には豊かな量感と重さ伴ってパウロの足元へと流れ落ちている。この「マルタ島で蝮に噛まれるパウロ」という図像は古くから見られるものである(注8)。しかし、12世紀周辺においては、その多くが〔図2〕の《ヴェローナの写本挿絵》(注9)のように、パウロが直立して差し出す手に蝮がぶらさがるタイプとなっており、本作品のパウロのように身をかがめる作例は珍しい(注10)。一方、初期キリスト教時代の5世紀ローマには、〔図3〕の《サン・パオロ・フォーリ・レ・ムーラ聖堂壁画》(注11)のような作例があり、ここではパウロが焚き火の方へ大きく足を踏み出す動きが見られる点において《カンタベリーのパウロ像》と繋がる要素があると思われる。カンタベリーは古くからローマとの直接的な繋がりの深い土地であったため、或いはローマからこのような図像が直接伝播していた可能性もあるかもしれない(注12)。何れにしても《カンタベリーのパウロ像》に見られる“前かがみのパウロ像”という形は、「マルタ島で蝮に噛まれるパウロ像」の図像伝統においては珍しいものであり(注13)、この点が本作品の造形上の特質を支える1つの重要な要素となっている可能性が推測される。それでは次に本作品の様式を考察していくことにしよう。Ⅱ.12世紀イギリス・ロマネスク美術の作品との比較 《カンタベリーのパウロ像》と様式上の類似が最も指摘されるのは、1130年頃に制作された《ベリー聖書》である(注14)。この聖書本挿絵は12世紀前半のイギリスで活躍したマスター・ヒューと呼ばれる芸術家によって制作されたことが記録によって明らかとなっている作品である。〔図4〕はそのヒューが描いた《ベリー聖書のモーセ像》(注15)である。両者を比較すると、ドレーパリーが身体の各関節を二重線で

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