―416―縁取ることで衣の下の身体を暗示する形が確かに同様であり(注16)、共に細いリボン状に表されたドレーパリーが網目のように全身を覆っている。この薄い衣によってその下の身体を暗示するという方法は、“濡れた襞衣dampfold”と呼ばれ、古代ギリシャ・ローマ彫刻に遡る造形であるとされている(注17)。ビザンティン美術を介した古代美術の受容プロセスにおいては、西欧各地においてさまざまな“濡れた襞衣”表現が現れるが、12世紀前半のイギリスが考案したその表現はこの細いリボン状のドレーパリーで全身を網目状に覆うという様式であった。この様式は12世紀のイギリスにおいて大変愛好され、多くの類似作例を生み出した(注18)。《カンタベリーのパウロ像》も《ベリー聖書のモーセ像》もこの一連の作品群に属すものであることは間違いなく、しかもこの様式の最も完成された姿であったとさえ言うことができるものである。しかし、この2作例を詳細に見ていくと、両者には実は大きな相違があることに気づく。それは既に指摘されているように(注19)、《カンタベリーのパウロ像》の顔が穏やかで自然な調子であるのに対し、《ベリー聖書のモーセ像》の顔が未だに強いハイライトが当てられた厳しい調子であるといった点でもあるのだが、両者の最も異なる点は実は類似が指摘されているそのドレーパリーなのではないかと筆者は考えるのである。一見、両者は細いリボン状のドレーパリーで全身を網目状に覆う典型的なイギリスの“濡れた襞衣”表現なのだが、そのドレーパリーの表そうとしているもの、即ち、その身体の重みと力強さが両者では大きく異なっているように思われるのである。この違いは“前かがみの人物像”同士で比較するとさらに明らかになる。図5は《ベリー聖書のハンナ像》(注20)であり、《モーセ像》と同様、マスター・ヒューによって描かれたとされている(注21)。エルカナから衣(注22)を受け取るために前かがみになったハンナの身体は、確かに細いリボン状のドレーパリーで覆われている。しかし、そのドレーパリーで表現されているものは、《カンタベリーのパウロ像》とは大きく異なっている。つまり、ハンナのドレーパリーは身体を覆い尽くしてはいるが、その下の身体のヴォリュームや重さを示そうとしているわけではなく、袖や上半身のドレーパリーに至っては秩序立った造形を見出すことすらできないのである。立像の《モーセ像》をあれだけ生き生きと描くマスター・ヒューが、“前かがみの人物像”になるとなぜこのような造形になってしまうのか不思議な程である。また、〔図6〕は《ランベス聖書のルツ像》(注23)である。ここではルツがボアズに許されて落穂拾いをしているところであるが、“前かがみ”になって落穂を集めるルツの身体は、細いリボン状のドレーパリーによって全身くまなくシステマティックに覆
元のページ ../index.html#426