―417―われているものの、そこにやはり身体の重みがない。ここまで見てきて分かったこととして、“前かがみの人物像”というものと、細いリボン状のドレーパリーによって網目状に全身を覆う12世紀イギリスの“濡れた襞”表現とは、実はそぐわないものだったのではないかということである。もともとこの様式は痩身の直立した人物像から現れてきたものであり、それは丸彫り彫刻を想起させるような造形であった。つまりこの様式を用いて《カンタベリーのパウロ像》のような“前かがみの人物像”を表すのは、そもそもかなり困難なことであったのではないかと考えられるのである。その証拠に、《カンタベリーのパウロ像》と比較可能な“前かがみの人物像”を筆者は12世紀のイギリス美術に広く求めたが、上述の〔図5,6〕以外におよそ見出すことができず、またこのようなポーズを取る人物像は早々とリボン・ドレーパリーを放棄していることが明らかになったからである。それでは《カンタベリーのパウロ像》は、この細いリボン状のドレーパリーというおそらくは当時既にオールド・ファッションになりつつあった自国の様式を用いながら、その一方で堂々とした力強い身体の重みを表現するという新しい造形課題の実現になぜ成功したのだろうか。この点を考察するために、次は《カンタベリーのパウロ像》が範を求めたのではないかと指摘されるビザンティン美術の作例を見てみよう。Ⅲ.ビザンティン美術の作品との比較〔図7〕は、12世紀初頭のキプロス、《アシィヌ教会の壁画》(注24)である。「聖母の死」を嘆くパウロは、1100年以降のビザンティン美術の線的傾向を反映して、身体の構造を線描によって明確に暗示する様式によって表されている(注25)。《カンタベリーのパウロ像》と比較すると、青色の上衣、褐色のマントといったモチーフの類似に始まり、身体の動き、右手を差し伸べるポーズ、衣のドレーパリーの形などが類似していると言えるだろう。相違としては、《カンタベリーのパウロ像》の方がドレーパリーの連携がより穏やかで滑らかであること、またその一方で衣の下の身体はより重く力強く感じられることである。そしてこの印象の相違は、《カンタベリーのパウロ像》がマントを背中から全面的に掛けるという造形によってもたらされていることに気づくのである。次に〔図8〕の12世紀半ばのパレルモ、《カッペラ・パラティーナのモザイク壁画》(注26)の「パウロの回心」(注27)を見てみよう。これはパウロが天の光に打たれ、目が見えなくなってしまっている場面である。このパウロ像で注目されるのは、《カンタベリーのパウロ像》と同様にマントを背中から全面的に掛けている点であ
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