鹿島美術研究 年報第23号別冊(2006)
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―418―る。しかし、そのドレーパリーは片方が脇の下に巻き込まれながら右手の方へ戻っていき、他方は臀部の丸味を強調した後は裾までV字型の斜線となって落ちていく。身体の重みは激しいドレーパリー表現の下に埋もれてしまっているようである。これら2つの作例と比較すると、《カンタベリーのパウロ像》のポイントとなっている造形が、背中から全面的に大きく掛けられているマントであり、しかもそのマントの縁がパウロの身体の中央を垂直に落ちている点であることが分かる。即ち、この垂直に落ちるマントの縁を中心軸に、左には大腿部、右には頭部と差し出された右手がバランスよく配されているのであり、その均衡を細いリボン状のドレーパリーで示されたパウロの両膝の正しいポジションが下支えしているのである。そしてこれらの造形によって本作品は力強い身体の重みを備えた堂々たる人物像として描出されているのである。この《カンタベリーのパウロ像》の造形と等価な表現を12世紀イギリスにおいて探すならば、それはおそらく《ウィンチェスター聖書》(注28)の最晩期の画家の作例である図9の人物像のドレーパリーである。衣の布を垂直に垂らすことによって得られる身体の重さと力強さをこの2人の人物像も備えているからである。《カンタベリーのパウロ像》の背中はちょうどこの2人の人物像の膝に相当すると言えるだろう。しかし、《カンタベリーのパウロ像》はここに、《ウィンチェスター聖書》の挿絵で言うならば、最初期の画家の様式であるリボン・ドレーパリーも組み込んでいるのである。12世紀のさまざまな造形言語を鮮やかに使いこなしている《カンタベリーのパウロ像》の造形は、やはり特筆に値するものであると言うことができるだろう。結語《カンタベリーのパウロ像》の様式は、確かに《ベリー聖書》のマスター・ヒューの様式に近い。それは12世紀イギリス・ロマネスク美術が熱烈に愛好した細いリボン状のドレーパリーで身体を網目状に覆う“濡れた襞衣”表現である。しかし、《カンタベリーのパウロ像》の“前かがみの人物像”という形をポイントに、イギリス内外の作例を比較していくと、そこには同時代のビザンティン美術を巧みに取り入れながら、自国の造形言語も捨て去ることなく、それらを統合し融合し変容させて新たな造形を生み出している驚くべき創造のプロセスを個別具体的に見出すことができるのである。

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