鹿島美術研究 年報第23号別冊(2006)
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―429―撮影時期を「1864年」としている。本助成研究のテーマからすれば、是非とも裏付けを取らなければならない重要事項である。製鉄所関連のこれらの写真は、1986(昭和61)年に日本で開催されたライデン大学幕末写真コレクションの展覧会を機に一部が同展図録に収められ、その翌年8月、さらに図録を編集し直し収録写真を増やした写真集『甦る幕末』(朝日新聞社)の132〜135頁に収録されている。しかし細部まで精査するには網点印刷のため限界があり、少なくともライデン大学写真絵画資料室で大判の複写資料にルーペをあてる確認作業が必要となった。5 今回調査した史料の突合わせと、残された課題同大学図書館写真絵画資料室の責任者Ingeborg Th. Leijerzapf氏によれば、筆者が閲覧を申請した5点の写真のうち、〔図6〕がKoenraat Wolter Gratama(ハラタマ、注10)のCollectionに属し、他の4点はどれもAntonius Franciscus Bauduin(ボードゥイン、注11)のアルバムに含まれており、原写真はそれぞれ御遺族の個人所蔵となっているという。Bauduinのアルバムに収録されている〔図9〕の写真が、1864(文久4−元治元)年、ベアト(Felix Beato)の撮影、であることについては、原本のアルバム台紙に書込みがあるのかも知れないが、同大学写真絵画資料室の資料カードにそのことの記載はなく、今回は確認できなかった。しかし、複写であってもさすがに写真である。網点印刷とは違って、ルーペをあてるまでもなく、この写真の細部がよく読み取れた〔図10〕。写されている民家は、当時としてはかなり特殊なものである。まず窓。一階の左手(台所か?)の一部を別として、ほとんどガラス窓になっていること。そして煙突。ストーブ用の煙突であるように見え、二階の軒先からも2本が突き出ている。この写真に写っている人物は、計6人。一階(小舟の側を含め)に4人、二階窓辺に2人。少女と思しき人物を窓より少し奥左手に従えて、ちょうど長崎湾の入口方向を遠望するような目線で窓辺の手摺に腰をのせ、膝に手をおき帽子をかぶった髭面の男。この男が、この写真の主人公である。本報告書の〔図3〕、レーマンの肖像写真を改めて確認しておきたい。なお、「志賀九郎助書翰集」の「当九月八日…」の行にある「…住居所ニ而ホトガラ写真之節」の住居というものが、この写真のような家屋であったことは、是認してもよいのではないだろうか。「当九月」は「丑」の前年、元治元(1864)年の九月であり、「1864年撮影」が確認できれば、さらに該当する時と場所に迫れることになる。

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