鹿島美術研究 年報第23号別冊(2006)
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―34―というようなものではないが、この二方向を明らかに認識することで、多様な「見立て絵」の性格をより明快に把握することができるものと考える。以下で、「見立て絵」が複数のイメージを重層させる仕組みについて、1.「かたち」と2.「道具立て」の両極を代表する作例を示しながら説明していきたい。枠組みをわかりやすくするために、できるだけよく知られた作例を取り上げて述べることにする。1.絵画上のかたちの類似によるものイメージを重ねたもの同士の、事物の絵画上の「かたち」そのものが似ているもの。人物であれば、身振り、体型(衣文線を含む)、表情などが、描かれたかたちの上で類似するもの。重要なのは、二次元に絵画化された段階での、筆運びなども含むかたちの類似であり、背後には伝統的な図像がある場合もある。代表的な例としては、《湯女図》(MOA美術館蔵)〔図1〕の桜文様の小袖の湯女が、かたちとして可翁筆《寒山図》(個人蔵)〔図2〕のような水墨画の寒山の像に似ており、かたちの類似を通して寒山とのダブル・イメージを仕組んでいることが挙げられる(注4)。ここで、《湯女図》に描かれたこの湯女について、「言説」と「形象」の両面から考え、それぞれの明示的意味(denotation)と暗示的意味(connotation)について確認していきたい。この(湯女の)形象が示す明示的意味は「湯女」であり、言説の明示的意味「湯女」はこの形象により表現されている。一方、この(湯女の)形象が示す暗示的意味は、「寒山との類似、ダブル・イメージ」というものである。そして、湯女という言説の暗示的意味(注5)は、垢をかきとる=俗世の汚れを除去する者、あるいは娼婦=聖なる者、というものであり、これらは寒山という言説の暗示的意味(箒で俗塵を払う聖人)に共通する。さらに、あらかじめ隠された聖性を持つ自由人という性格までも、共通性として気付かれる。湯女を寒山に重ねて描くという着想がある段階で生まれたわけだが、それは、両者の言説では差異の方がはるかに大きいことを前提とした上で、両者の言説の暗示的意味にこのような共通性を見出す意識によるものである。そして両者を重ねる際に、形象面で類似を暗示するという方法がとられたのである。また、《彦根屏風》(彦根城博物館蔵)の脇息にもたれる女〔図3〕が、かたちの類似により、維摩〔図4〕とのダブル・イメージを仕組んでいることも挙げられる(注6)。この女の形象が示す明示的意味は「遊里の女(遊女あるいは遣女)」であり、言

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