鹿島美術研究 年報第23号別冊(2006)
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Felix Beatoオランダの化学者。1831生−1888没。幕府に対するA. F.ボードゥインの提案により、1866(慶応2)年長崎の精得館分析窮理所の理化学教師として招聘され、来日。翌年江戸の開成所教授へ、さらに1868(明治元)年に大坂舎密局の教頭に、一貫して化学教育に携わり1871(明治4)年オランダへ帰国。オランダ海軍軍医。1822生−1885没。ポンペ(Johannes Lijdius Catharinus Pompe van Meerdervoort)の後任として1862(文久2)年長崎に赴任。長崎養生所(後の精得館)で西洋医学の教育と治療を実施。1866年いったん帰国し、江戸に海軍病院を建設する準備をたずさえて1868年再来日。幕府終焉のため同計画は挫折したが、1869(明治2)年から大阪医学校、翌年から東京の大学東校でも指導にあたり、同年帰国。―431―1825年イタリア、ベネツィア生れ。1856年頃イギリスに帰化。今日でいう報道写真家として、クリミア戦争、セポイの乱、第2次阿片戦争、そして幕末・明治初期の日本など、激動する世界の記録を数多く残した。1884(明治17)年に離日。

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