鹿島美術研究 年報第23号別冊(2006)
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ベラスケスのボデゴンと17世紀セビーリャの知的環境―435―研 究 者:慶應義塾大学大学院 文学研究科 後期博士課程  諸 星   妙序 ベラスケスのボデゴンとセビーリャの知的貴族本研究の目的は、ベラスケスがセビーリャ時代(1617−23年)に描いたボデゴン(厨房風俗画、注1)とセビーリャの知的貴族の関係を再検討することにある。ベラスケスのボデゴン〔図1、3〕は貧しい庶民の日常をリアルに描く、同時代のセビーリャでは革新的な絵画であった。これらのボデゴンはベラスケスの師パチェーコの周辺に集まっていた知的貴族のコレクションに入っていたことが知られ(注2)、その成立は貴族の知的、芸術的な関心と結び付けられると考えられてきた。すなわち、貴族の古代美術への造詣の深さから、ボデゴンはプリニウスの『博物誌』に登場する古代画家ピラエイクスの作品の再創造であると看做された(注3)。或いはベラスケスは、当時のマドリードで流行していたボデゴンを見た貴族の勧めで、セビーリャでは殆ど知られていなかったボデゴンを描いたのだと考えられた(注4)。しかし、これに対してチェリー、ブラウンは、ベラスケスとの関係を強調される貴族が、実際には画家の活動期にセビーリャには不在であった事実を指摘した(注5)。両者の関係は再検討される必要があると考えられる。一方、ベラスケスのセビーリャ時代に関する研究は、画家の生誕400周年を記念する1999年に大きな展開を見せた。同年、ベラスケスの家族、その職業に関する新資料が相次いで発表され、ベラスケスが改宗ユダヤ教徒(コンベルソ)の家系に属する可能性が高いことが示された(注6)。パロミーノによる評伝以来信じられてきた、下級貴族の出であるというベラスケス像は(注7)、完全に覆されたのである。ベラスケスの出自に纏わるこの重大な事実は、1659年にサンティアゴ騎士修道会入りを果たすまでの長い道のりと直接に結び付けて理解され(注8)、騎士修道会入りを目標に据える重要な契機であったとされる1628年のルーベンスとの親交以前、すなわちセビーリャ時代については、未だ十分に検討されていない。しかし、同時代のセビーリャ絵画とは完全に一線を画するベラスケスのボデゴンの革新性を、こうした出自の問題と切り離して理解することは出来ないだろう(注9)。以上のような研究の現状を踏まえ、研究者は当時のセビーリャでのコンベルソに纏わる諸問題と、ベラスケスと親交のあったセビーリャの貴族について調査を行った。その結果、ベラスケスの周囲にいた貴族の多くが、ベラスケスと同じくコンベルソの家系に属する人物であったことが判明した。ベラスケスはこれらの貴族の後ろ盾を得

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