鹿島美術研究 年報第23号別冊(2006)
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―35―説の明示的意味「遊里の女(遊女あるいは遣女)」は、この形象により表現されている。また、形象の暗示的意味は、「維摩との類似、ダブル・イメージ」である。奥平俊六氏は、この女を遊女ではなく遣女と見て、その言説の暗示的意味である、叡智に優れ、巧みな弁舌を操る者、というものと、維摩のそれとの共通性を指摘されている(注7)。これも《湯女図》と同様、両者の言説の大きな差異を前提に効果を発揮する共通性である(注8)。また、遊女の肖像として制作されたと考えられる寛文美人図〔図5〕の多くが、『伊勢物語』の「河内越」の場面を当世風俗で描いた「見立河内越図」(出光美術館本他)〔図6〕から女性のみを切り抜いたかのようにそのかたちを踏襲することにより、河内越の女とのダブル・イメージを意図していることも挙げられよう(注9)。この場合は、「見立河内越図」自体が当時の舞台の影響を受けて成立しており、画中の河内越の女のかたちや当世風俗の衣裳等も舞台上の主人公の姿に由来している。しかし、由来するところが直接的には同時代の舞台であるとしても、その表象が河内越の女であることには変わりない。こうした寛文美人図において、遊女の形象が示す明示的意味は特定の遊女であるが、暗示的意味は「河内越の女との類似、ダブル・イメージ」である。河内越の女という言説の暗示的意味は、男に見られる女、浮気な男を想いつつ待つ女、というものである。この言説の暗示的意味と遊女のそれとの共通性により、遊女が河内越の女と重ねて描かれたといえるのだが、この場合は一部の作品に遊女本人の賛がなされているように、遊女自身が制作に関わった肖像画であることを考えると、健気で理想的な待つ女のイメージを遊女と客の間で共有するために、この共通性をあえて強調し利用したものと見てよいだろう。2.道具立ての類似によるものイメージを重ねたもの同士、絵画上の「かたち」そのものよりも、道具立て・セッティングが似ているもの。これには、人や物同士の組み合わせも含む。これはさらに大きく二つに分けられる。2−1.道具立てが(ほぼ)同一のもの道具立ては事物として(ほぼ)同一の物であり、人物だけが置き換わる。従って、日常には起こりえないような、一種超現実的な道具立てとなることも多い。扮装肖像画に近いものであり、後述する2−2よりも類似が直接的である。例としては、山中羅漢図になぞらえた明兆筆《大道一以像》(奈良国立博物館蔵)のような肖像画の他、鈴木春信による多くの作品、《見立恵比寿図》《見立大黒天図》

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