鹿島美術研究 年報第23号別冊(2006)
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―440―立つ場所には水甕が描き加えられている。また、パチェーコと深い親交があった詩人の画家パブロ・デ・セスペデスの《最後の晩餐》〔図12、13〕では、水甕は大きな水盤の上に載せられ、観者の注意を惹き付ける。パチェーコは『絵画論』でベラスケスのボデゴンを擁護した直後にこの作品を取り上げ、その静物描写が人物表現以上に称賛されたと語っている(注42)。水甕が画面前景の目立つ場所に配置され、画家の卓越した技量を誇示するように巧みに表現されている点は、ベラスケスの《セビーリャの水売り》に共通する特徴である。ベラスケスがこれらの晩餐の図像から、清めの水を暗示する水甕の着想を得た可能性は十分に考えられる。ベラスケスの作品の非日常的で厳粛な雰囲気は、これを補強するだろう。この推量が的を射ているとすれば、《セビーリャの水売り》に描かれた水甕や水差し、繊細なグラスに満たされた透明な水は、キリスト教的な文脈において、清め或いは信仰の純粋さを象徴していると考えられる。貧しい身なりの老いた水売りは純粋な信仰の持ち主で、宗教的純潔の象徴たる水を少年に授けているのである(注43)。ベラスケスが最後の晩餐の図像における水や水甕の象徴的意味をボデゴンで利用したことは、《エマオの晩餐のある厨房》〔図3〕でこの作品に描かれたものと同じ白い水差しを、最後の晩餐の代用となるエマオの晩餐のテーマのすぐ下に描いたことからも確かめられる(注44)。4 マドリード来訪ではベラスケスはいったい何を意図して、このような作品を描いたのであろうか。筆者はその意味を、作品が画家本人によって宮廷入りの際に持参された事実に求めてみたいと思う。ベラスケスが2度のマドリード来訪のうちのどちらにこの作品を持参したのかについて、同時代の証言は残されていない。しかし原資料を丹念に読み進めるならば、その意味合いは全く異なるものであったことが分かる。すなわち1度目は画家本人が自らの意志によって実行した来訪であったのに対し、2度目はオリバーレスの命を受けたフォンセカに呼び寄せられての来訪であった(注45)。しかもそれは50ドゥカードの資金が提供されての召還であり、到着後はフォンセカの自宅に宿泊して歓待を受けるのである。《セビーリャの水売り》はそうしたフォンセカの厚意に対する御礼として2度目の来訪時に持参されたのかもしれない。しかし或いは既に1度目の来訪で持参され、その称賛の結果、このような好待遇が得られたのだとも考えられる。宮廷入りを目論むベラスケスがその準備の一環として手がけた作品である以上、

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