―441―1度目の来訪に携えて行くのは当然であろう。そしてそれは、王室礼拝堂付き司祭となるフォンセカの信仰の純潔を礼賛するものだったのではなかろうか。水甕や透明なグラスの描写が芸術に精通したフォンセカの目を楽しませたばかりでなく、それらのモチーフが表現する宗教的純潔のテーマこそは、コンベルソとしての出自を心奥に秘めるフォンセカにとって最適なものであったに違いない。描写とテーマの両面でベラスケスの卓抜なる才能を示す同作品がフォンセカを感嘆させ、2度目の来訪を可能にさせたと考えるのは的外れではないだろう(注46)。実際、2度目の来訪でベラスケスには特別な待遇が与えられた。宮廷画家のポストを巡る情況は1度目の来訪時と何ら変化していなかったのに(注47)、2度目の来訪時にベラスケスは国王の肖像を描く機会を与えられ、僅か2ヵ月後には宮廷画家の位を授かるのである。しかもそれは異例の任命であったと言ってよい。ベラスケスには宮廷に仕えた実績がないのに、他の画家との競合もなしに、月々の報酬に作品毎の支払いを含めた好ポストが用意されたのである。バレーラが指摘するとおり、当時の宮廷で貴族が画家を宮廷画家のポストに推挙することが珍しくなかったとすれば(注48)、フォンセカはベラスケスの宮廷画家任命に対して決定的な役割を果たしたと考えられるのである。5 結語ベラスケスは《セビーリャの水売り》で、当時の一般的な水売りとは大きく異なる、厳格な雰囲気の老水売りを描いた。聖体を授けるかのような水売りの厳粛な行為を、堂々たる存在感を放つ水甕と透明なグラスに満たされた純度の高い水とにより強調し、ベラスケスは作品に特別な意味を付与した。それは同時代的情景を再現したものではなく、受容者の古代への関心や高度な文学的教養を満足させるだけのものでもなかった。本稿で検証したとおり、ユダヤ教徒やイスラム教徒の血が混じる改宗者を忌み嫌い、それらの人物が公職に付くことを禁ずる血の純潔規約が存在した当時のスペインにおいて、コンベルソとしての出自は、その家系に連なる貴族の心に大きな不安と葛藤を与えていた。コンベルソの貴族は血の純潔規約を嫌悪し、純粋なカトリック教徒であることを、すなわち、純粋な信仰の持ち主と看做されることを望んだ。自らもコンベルソとしてその精神を共有するベラスケスは《セビーリャの水売り》で、そのようなコンベルソの貴族が憧憬した信仰の純潔をテーマに据えたのである。ベラスケスはパ
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