―36―「走り出た愛玩犬と、縄暖簾から垣間見える遊女」であり、言説の明示的意味はこの「猫」を、「縄暖簾」が「御簾」を、「遊女」が「女三宮」を連想させ、全体として『源氏物語』「若菜 上」の女三宮の垣間見の場面〔図12〕を暗示するからである(注11)。それぞれは事物としては異なるが、性質や形などが少しずつ似たものが選ばれ《鶴上の遊女(見立費張房図)》〔図7〕《見立蘆葉達磨図》等や、円山応挙筆《江口君図》(静嘉堂文庫美術館蔵)〔図8〕などが挙げられる。ここでは《江口君図》について詳しく見ることにする(注10)。これは、謡曲『江口』で知られる、遊女の江口君が普賢菩薩の化身であったことを描くもので、白象に乗る普賢菩薩〔図9〕の内、象という道具立ては元のままで(応挙画らしく、観念的な白象ではなく現実の象に近く変えてはいるが)、菩薩の部分を江口君に置き換えている。象という道具立てにより、江口君と普賢菩薩とのダブル・イメージを示していることになる。本図の形象が示す明示的意味は「象に乗る遊女(江口君)」である。そして、この形象の暗示的意味は、「騎象の普賢菩薩との類似、ダブル・イメージ」というものである。一方、謡曲『江口』に基づく言説の明示的意味は江口君であり、その暗示的意味は、遊女として客に尽くし、世の無常を知る=仏道に導く悟りの境地、娼婦=聖なる者、というもので、これらは普賢菩薩という言説の暗示的意味に共通する。江口君と普賢菩薩を重ねることは、『十訓抄』等にある、性空上人が神崎(または室)の遊女に騎象の普賢菩薩を見た話に由来するが、その根底には遊女・普賢菩薩両者の言説の暗示的意味の共通性があり、謡曲『江口』を経て発展する、江口君を普賢菩薩の道具立てそのもので表すという絵画の着想に至ったものと思われる。2−2.複数の、それぞれ少しずつ似た事物の組み合わせにより、類似が了解されるもの2−1が事物として(ほぼ)同一の道具立てによっていたのに対し、これは事物としては異なる物であるが、その属性や形などが類似した道具立てであるといえる。もちろん、人物も置き換わる。従って、一見普通の当世風俗のように見えることが多い。2−1よりも隠喩の度合いが高い。例としては、琴棋書画図のやつしとしての《彦根屏風》や、《縄暖簾図》(アルカンシェール美術財団蔵)〔図10〕、鈴木春信の《中納言朝忠(見立寒山拾得図)》〔図11〕《坐鋪八景》のシリーズ(「手拭掛帰帆」等)などが挙げられる。ここでは《縄暖簾図》について見ることにする。本図の形象が示す明示的意味は、形象により表現されている。そして、この形象が示す暗示的意味は、「女三宮との類似、ダブル・イメージ」というものである。というのは、形象の内、「愛玩犬」が
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