「応徳涅槃図」試論―458―――陰陽道と星辰信仰をめぐる二重のイメージ――研 究 者:お茶の水女子大学 比較日本学研究センター はじめに拙論では、平安時代に制作された現存最古の「涅槃図」である、高野山霊宝館保管の金剛峯寺本仏涅槃図(以下「応徳涅槃図」)について見ていく。絵の左下に記された銘文によると、この六副一鋪から成る壮大な画幅は、白河上皇治世下の応徳3年4月7日に完成した〔図1〕〔図2〕〔図5〕(注1)。この作品に関する膨大な先行研究を踏まえ、北側の沙羅双樹の幹に描かれた亀甲文像を考察する(注2)。道教の染み込んだ中国占星学における「北の方角−玄武」と、同じく中国において「亀甲文」の元になった動物、「亀」という二つのキーワードが、新しい考察の糸口となる。つまり、北側の木の幹に記されている亀甲文を「亀」と捉えるならば、絵の中にその存在を裏付けるものがあると推測することができる。玄武した」仏陀の不死、超越性といった特性をも表わしていると言える。また有賀祥隆氏は「応徳涅槃図」に関するの最近の研究の中で、裏彩色・裏箔の技法の使用が控えめであること、「つくり絵」を思わせる絵画技法、色彩による装飾の豊かさ、銘文を特徴付ける書法の巧みさといった特徴から、おそらく白河上皇の庇護の下に制作されたであろうこの作品が、高野山の復興事業において性信大師と交わっていた藤原基光のような「絵師」の作品ではないかと指摘している(注3)。白河上皇と性信大師、そして「応徳涅槃図」の表現様式の特殊性に焦点を当てるこうした見方を踏まえ、本論ではこの作品と星曼荼羅の図像を結びつける要素に着目したい。1.星辰信仰芸術と宗教が隆盛を極めた長い院政時代、人々は生死が超越的な存在の手に握られていると信じ、例えば北斗七星を中心とする星たちの中で、生まれた年によって自分が祈るべき星、「命星」が定められ、それによって運命が左右されると考えていた。陰陽道の流れをくむ『仏説北斗七星延命経』と『北斗七星護摩要秘儀軌』の二つの経典は、七つの星と尊星王に個人や集団の運命を左右する保護神的な役割を担わせた。〔図6〕の解釈から出発し、これまであまり触れられてこなかった涅槃図における図(四神の一つ、北の守護神)との関係に加えて瑞祥のしるしであるこの文様は、「入滅助教授 シュワルツ−アレナレス・ロール
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