―462―勒の三菩薩には当てはまらない。このような図像の選択は、地蔵と普賢をめぐる関係を、純粋な偶然にしてしまうものなのか、あるいは反対にこの2人の菩薩に向けられた配慮の内に、上皇の印を見出だせないだろうか。4.羅雲あるいは羅Ç星「応徳涅槃図」と星曼荼羅の図像の関係性の裏づけとして、作品中に現れる仏陀の息子、東の木のそばにいる羅Ç羅についての解釈を試みたい〔図16〕。身体の白さ、東側の中心というその位置から羅Ç羅は、観音菩薩と威徳無垢稱王を結び付けるその構成の中で、他の弟子達とは一線を画しており、菩薩と同様にこの絵画の中で重要な人物と言える。この羅Ç羅という名前の中に、「食」と、星曼荼羅の主要なモチーフのひとつで、11世紀以降厄払いの信仰の対象となった「羅Ç星」への暗示を見ることも可能である。偉大な弟子である羅Ç羅と、『大般涅槃経』の「月喩品第十五」に登場する曼荼羅の恐ろしい羅Ç星を結び付けることには慎重を要するが、いくつかの仏教説話によれば仏陀の息子は食の日に生まれており、雲が太陽を遮るように、親子の情愛が邪魔をして、父親にとっては悟りへの道の障害としばしば捉えられていたことにも着目したい。以上のことから、羅Ç羅は8人の菩薩と同様に羅Ç星という星曼荼羅の基本的要素に対応していると考えられる。また登場人物の顔の中で、羅Ç羅の顔だけが木の枝の影に一部隠れているという事実が、羅Ç羅と羅Ç星の類似を一層強めているように見える。この弟子はまた一方で、錫杖を飾る二つの三日月のちょうど真横に描かれているが、復讐に燃える阿修羅は暗黒の夜の世界にいながら、時としてこの月の光を浴びているのである。この仮定を支えるもう一つの手がかりは、西側の木の葉の下に描かれている赤い短冊形の中にはっきり読み取れる名前にある〔図17〕。「羅Ç羅」と「羅雲」の二つの通称のうち、作者は後者を選んでいるが、「羅雲」の中の「雲」という文字が、この人物の二重の役割を裏付けているといえる。星曼荼羅における羅Ç星の描写を観察すると、久米田寺本のように、蛇の乗った赤い三つの頭という形で、たいてい厚い雲の上に現れる〔図15〕。また、仁和寺の性信大師によって本尊として修法された孔雀経曼荼羅の中でも、同じことが見て取れる。松尾寺本孔雀経曼荼羅には、雲上に漂う赤い顔の鬼が描かれている〔図18〕〔図19〕。「応徳涅槃図」においては、羅雲の名前とそれを示す短冊形から、雲と赤色に表現される阿修羅の特徴を見い出すことが可能であ
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