鹿島美術研究 年報第23号別冊(2006)
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―463―る。また、この涅槃図の制作背景を考慮すると、この11世紀末の傑作と、当時性信と寛助、寛助と上皇の密な関係の中で行き来し、発展しつつあった曼荼羅の絵との間に、何らかの伝達があったとも考えられる。5.十二宮と十二支の存在8人の菩薩の他に、釈迦が占める中央の位置、つまり4つの方角に囲まれた部分もまた、曼荼羅の基本的要素に通じるものがあるように思われる。久米田寺、金剛寺、法住院、あるいは東寺の北斗曼荼羅を特に見てみると、院の中央に土曜、そして釈迦金輪が、輔星を含む北斗七星に直に囲まれているのに対し、端には対称的に五つの惑星、羅Ç星、計都星が配置されているという類似点に気付く。このように、人物の名前や位置だけではなく、絵画全体の空間的配置が、星曼荼羅に対応していると考えられる。沙羅双樹に囲まれた最初の「院」に、仏陀が眠る宝台のまわりに集う参列者によって円形にかこまれた1つ、あるいは2の「院」が続いているのである。また、絵の右下の獅子〔図25〕、竜王の肩当に見られる魚〔図22〕、また緊羅那の衣装に描かれた摩渇を思わせる動物と、その頭部に見られる獅子〔図26〕、そしてそれらと星曼荼羅に描かれる十二宮の間の類似点も、〔図23〕〔図24〕〔図27〕、絵画全体のこうした見方を支えてくれるものである。また双子座の印は、毘舎利大臣と後官夫人の組み合わせの中に見出せる可能性もある〔図31〕。服装の様式から、彼らを星曼荼羅の黄道十二宮の中に描かれる二人の小さな人物に見立できることもできる〔図29〕。最後に、本図の上部に描かれている二体の動物は〔図21〕、一般的には鹿とみなされているが、その巻いた角と斑点のある毛から、星曼荼羅に描かれている雄羊を思わせる〔図20〕。例えば高山寺保存の「鳥獣人物戯画」に描かれている鹿は、容易にそれと分り、その角は雄羊のそれと明らかに異なる。しかしこの事を「応徳涅槃図」の制作者の混同、あるいは不手際に帰することも信憑性に欠ける。こうした表面上の両義性から、二重のイメージ−宇宙的というこの涅槃図の二重の次元−を、制作者は意図的に仕掛けたと考えることもできる。涅槃図における鹿の存在は、釈迦が最初の説教を行った鹿野苑を思い起こさせるが、先に述べたように日、月、星を表す紋につながる妙見菩薩のイメージとも密接に関わっている。この仮定は考察に直するものと思われますが、しかしここにむしろ十二宮の印としてだけでなく、十二支の印としての雄羊への暗示を感じ取らずにはいられない。事実、本図に登場する動物と星曼荼羅の動物をつなげる様式的な類似点に加え、『仏説北斗

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