鹿島美術研究 年報第23号別冊(2006)
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―38―「詮氏と維摩の同一性、ダブル・イメージ」ということになろう。言説の暗示的意味「見立て絵」について、原理的な仕組みを考察した。1も2も、イメージを重層させ合、イメージを重ねたもの同士が、これまで見てきた例のように別々に存在するのではなく、一人の人物に完全に一体化して表されているのである。形象の暗示的意味はは、「詮氏と維摩の、優れた在俗の居士という共通性」ということだろう。本図と近い時期には、虚堂智愚の顔貌を借りて一休の肖像とした《一休宗純像(梅花像)》(真珠庵蔵)なども制作されている。顔貌をはめ込み、別々の人物を一人に一体化してしまうようなこうしたダブル・イメージの手法は、イメージを重ねる先への準拠の度合いが極めて高いといえる。これには、像主の性質をアピールする肖像画であるという要素が強く働いていると思われる。おわりに本研究では、あるものに別のあるもののイメージを重ねて描いた、広い意味でのる仕組みこそ違え、描かれた形象が暗示的に示す類似により、そこに別の形象が二重写しにされ、同時に描かれたもの自体の言説とは別の言説もが重ね合わされて鑑賞される。「やつし」の作品などでは、その間の差異が、描かれたものに新たな意味を付加することになる。また一方では、これにより初めて、両者の言説の暗示的意味の共通性に思いが馳せられ、描かれたものがその性格を自らの中に明確に獲得する場合もあるのである。以上、ごく粗削りではあるが、多少なりとも広い意味での「見立て絵」の構造の総合的な把握に近づくことができたと考える。ここでは「見立て絵」の仕組みについて考察・整理するにとどまったが、今後はそれらの歴史的な特徴や展開について考えていきたい。奥平俊六氏は、《湯女図》や《彦根屏風》など近世初期風俗画における道釈人物画のかたちの転用と、鈴木春信筆《見立文殊菩薩図》に代表されるような、その後の近世絵画におけるいわゆる「見立」の異質性を指摘されているが(注13)、これはほぼ本論における1と2の違いに当たる。これらの例から浮き彫りとなることだが、2の場合の多く、特に2−1については、構想の当初から作品全体をダブル・イメージの下に制作することを意図しており、わかりやすいダブル・イメージを鑑賞の主要なポイントとして提示する性格がある。これに対し、1の《湯女図》や《彦根屏風》の例は、風俗画を制作するという当初の意図を実現する中で、群像の内の一人にかたちの類似という控えめな手法によりダブル・イメージを仕組むことで、当初予定されていた絵画世界に別の言説を持ち込み、世界を格段に広げていると理解される点が魅力と

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