鹿島美術研究 年報第23号別冊(2006)
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―472―(注21)ト・ベルトランジャン・バティスト・ベルトランは、歴史画・風俗画・フレスコ画の画家、銅版画家で、1867年以降は、歴史や小説の中の女傑、とりわけ彼女たちの断末魔の様子を主題とする優美な構図の作品で知られた(注19)。義松が模写した《Mort de Virginie》(ヴィルジニーの死)〔図8〕(注20)も、そうした主題傾向を示す作品に位置づけられる。リクサンブールク之油画ローザボンノーロBONHEUR Marie Rosalie(1822.3.22, Bordeaux−1899, Melun)/ローザ・ボヌール日記にある「リクサンブールク」とは、当時サロンの画家の絵を積極的に収集し展示した旧リュクサンブール美術館を指す。義松が模写を行った時期に旧リュクサンブール美術館が確実に所蔵していたボヌールの作品は、ボヌールの代表作のひとつである《Labourage nivernais; le sombrage》(ニヴェルネの耕作)〔図9〕(注22)である。ピール氏の大画PILS Isidore Alexandre Augustin(1813.7.19, Paris−1875.9.3, Douarnenez)/イシドール・ピール義松と親交を結んでいた画家アルベール・デュヴィヴィエが師事したイシドール・ピールの閲歴を調査した結果(注23)、日記にみえる「パサージードラルマルーシー」なる画題の作品は、このピールの作品として、現在もMusée national du château et desTrianons(Versailles)が所蔵する《Passage de l’Alma. 20Septembre 1854》(アルマの街道、1854年9月20日)あるいは《Bataille de l’Alma》(アルマの戦い)〔図10〕(注24)と題された1861年のサロン出品画に同定してよいと考える。イシドール・ピールは、歴史・宗教・戦争・風俗を主題とする絵画を得意とした画家で、《Passage de l'Alma 》もクリミア戦争に取材した戦争画で、縦5メートル、横9メートルにおよぶ大作である。日記によれば、義松はこの大構図の大作を28日間で模写している。パルデカピテヌBEAUMONT Charles-Édouard de(1821, Lannion−1888, Paris)/シャルル=エドゥアBERTRAND Jean Baptiste(1823.3.25, Lyon−1887.9.26, Orsay)/ジャン・バティス

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