「Le Naufrage de maidus」(メデュスの遭難)は、あるいは、テオドール・ジェリコ―473―Enregistrement des Copies exécutées dans la galeries du Luxembourgに記載された下記の記事から判明する〔図12〕。しかし、模写の開始日について、コピーストの記録と義松の日記には明らかな齟齬がある。Nom de l’artiste: Mr GocèdaAdresse:Sujet du tableau: La part du CapitaineAuteur: BaumontCommencé le: 12janvier 1884(日記:1883年11月28日)Termine le:8mars 1884Date de la sortie(du tableau):8mars 1884du capitaine》である。もう1点は「アンパンピエボー」であるが、これが表音するフLe Naufrage de maidus ール・ボモン歴史画・戦争画で知られるシャルル=エドゥアール・ボモンが、1868年のサロンに出品した作品に《La Part du capitaine》(首領の戦果)〔図11〕(注25)と題する絵がある。義松がこの作品を模写した事実は、Archives des musée nationauxにあるパアルデユカビテズアンパンピエボーRIBERA Josepe de(1591−1652)/ホセ・デ・リベラ「パアルデユカビテズアンパンピエボー」は、2点の作品をあらわしている。1点は「パアルデユカビテズ」、すなわち、シャルル=エドゥアール・ボモンの《La Partランス語としては、Un pan pied-botまたはEnfant pied-botが想起される。前者であれば、「足が反った牧神」である。後者については、「足が反った子ども」であるが、これについては、ルーヴル美術館が所蔵するJosepe de RIBERAの《Le Pied-bot》、すなわちホセ・デ・リベラの「えび足の少年」〔図13〕を想定することが可能であろう。ーの《メデュース号の筏》(Le Radeau de la Meduse)に同定できるのかもしれない。以上が、現時点で確認しえた義松の模写の実例である。これらの模写の多くはペンシルベニアのベーニュ氏の需めに応じて制作されている。日記という備忘録の性格上、生活の手段となった制作に関する事柄を特記した可能性が高く、これら以外に、義松
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