鹿島美術研究 年報第23号別冊(2006)
484/589

―474―musée nationauxに保管される登録簿では、コピーストが模写した作品を「Ecoleが模写に取り組んだ事例も想定しなければならない。ルーヴル美術館のArchives desその内、「Ecole flamande」以外のジャンルについては、義松滞仏期の記録がことごとく欠落している。3 滞仏期の実制作交際した様々な画家たちの作品とその制作状況を実見し、また多様な作品の模写を行ったことは、義松の実制作に何をもたらしたのだろうか。そのような体験の影響は、義松の滞仏期の実制作の中に実際に見出せるだろうか。滞仏期の作品の中に、《パリの風景》と題する風景画がある。「Y. Gocéda 1883.Paris.」の年記を持つこの風景画〔図14〕は、パリ近傍の公園の一隅に取材したものと推定される。構図や賦彩、モチーフの選択などの点で、《パリの風景》に最も類似する作風を示した画家を義松の交際の範囲で見出すならば、水辺の風景を得意としたエクトル・アノトーの名を挙げなければならない。1881年2月12日にアノトーのアトリエを訪れその絵を実見した義松は、「画人Hanoteau氏之細工所へ至り種々之油画を見る筆跡あらく遠見すれば真景を視が如シ」と記し、絵の印象を摘記している。たとえば、アノトーの《Pastoral Landscape》(牧歌的風景)〔図15〕などには、水辺の光景というモチーフ、構図ともに、義松画との類似性を見出すことができる。滞仏期の作品の中でもとりわけ完成度の高い作品に、《人形の着物》(La robe de lapoupée)〔図7〕がある。1883(明治16)年のサロンで、デッサンの部に入選した肖像画《Portrait de M.Louis de Courmon》とともに、油彩画として初めて入選を果たした記念作である。老女と少女の細やかな所作の一瞬を、三角形の安定した構図で捉えたもので、描かれた老女と少女の相互の情愛が、的確に表現されている。その光と影の描写、人物の所作・姿態などには、アカデミーの画家カロリュス・デュランの人物画や17世紀オランダの風俗画などとの類似を指摘できないだろうか。たとえば、《人形の着物》は、カロリュス・デュランの《Portrait de Mme G.F(eydeau)》における母子像〔図16〕の気品を、庶民性の内に翻案したかのような情趣を湛えている。また、義松が1880年12月23日に訪ねた「油画々工ウイリヘム」と思しいフローラン・ウィレムは、風俗画家・肖像画家として知られた画家で、17世紀オラfrancaise」「Ecole flamande」「Ecole hollandaise」「Ecole italienne」「Ecole anglaise」「Ecole espagnole」に分類し記録している。さらなる資料探索が求められるところだが、

元のページ  ../index.html#484

このブックを見る