鹿島美術研究 年報第23号別冊(2006)
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村野藤吾に関する美術史上の研究―483―――造形と形成過程について――研 究 者:京都工芸繊維大学大学院 工芸科学研究科 博士後期課程1.はじめに村野藤吾(1891−1984)は、近代から現代を生きた昭和の日本を代表する建築家の一人である。1891年佐賀県唐津に生まれる。小倉工業機械科を卒業後、八幡製鉄に入社。その後2年の兵役を経て、早稲田大学電気学科に入学する。建築を志し、途中で建築学科に転科後、27歳で卒業する。1918年大阪の渡辺節建築事務所に入所し、大阪綿業会館などを担当する。1929年に渡辺事務所を辞し村野建築事務所を開設。以来、1984年11月26日93歳で他界するその日まで第一線で設計を行い、膨大な建築作品を手掛けた。1955年芸術院会員、1967年文化勲章、1972年日本建築学会大賞など数多くの受賞歴がある。村野の作品は、多くが雑誌に掲載され、作品集、図面集によって紹介されてきた。作品集としては村野藤吾1931−1963、村野藤吾1964−1974、村野藤吾1975−1988(以上新建築社)、現代日本建築家全集2村野藤吾(三一書房)、村野藤吾和風建築集(新建築社)などがある。図面集としては、村野藤吾建築図面集全8巻(同朋舎出版)、村野藤吾選集全7巻(同朋舎出版)があり、それぞれ1741点、1385点を所収する。建築図面集においては、研究者による詳しい解説が、選集においては別冊の補遺に関係者へのインタビューが収録される。1991年には、生誕100年記念村野藤吾展が開催され、図録「イメージと建築」が発刊され、充実した論文が多数収録されている。また、1993年には村野藤吾著作集(同朋舎出版)が刊行され、文章に加えて編者神子久忠による解題、藤森照信による解説は、村野の人間像、建築史上の位置づけをより鮮やかにした。従来からも村野の建築家像や建築は幅広く紹介されてきた。特に建築評論家長谷川尭は、対談やその著作を通じて村野の建築や設計態度を幅広く世に知らしめた。このように村野及びその建築に対する研究、評論は枚挙に遑がないが、村野に関して記された学術論文は皆無としても支障がない。村野藤吾に関する既往研究としては、岡島直方による《村野藤吾の「第三の立場」とその設計方法の源泉について》(注1)など数編を数えるのみである。没後20年を経て2005年に宇部市民館(渡辺翁記念館)(1937)、2006年に世界平和記念聖堂(1953)が重要文化財に指定されるなど歴史的な福 原 和 則

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