―497―William Gilpin、考古学者ペンナントThomas Pennantが定義した風景と歴史とロマンスromanceの混合物であった(注12)。《ドルバダーン城》Dolbadern Castle, North Wales〔図11〕はそのことをよく示している。ターナーはこの絵にグレイの『吟遊詩人』The Bard の影響を思わせる自作の詩を付けている。スノ−ドニアの野生的で寂寥とした山中に建つ廃墟のドルバダーン城の塔は、詩の中の「崇高な孤独」majestic solitudeというイメージを視覚化している。リンゼイの説明によれば、この詩では「崇高な孤独」は囚われの自由の戦士と結びつけられている。また、当時、廃墟と化した中世の塔は、崩壊した封建的専制政治を象徴するものとよく考えられていた。封建的独裁者は直接描かれてはいず、峨々たる山と威圧的な塔で象徴的に表わされている。そこに射し込む光が自由の最終的勝利を示しているという(注13)。ターナーのこうした象徴的表現はさらに暗喩的表現へと向かうのであるが、それは彼が詩的イメージと絵画的イメージの類縁性に気づいてからである(注14)。3.ターナー的ヴィジョンの萌芽ターナーのヴィジョンは初めはピクチャレスク、崇高美、地誌学的なものを取り入れながら出発するが、次第にターナー独自のV字形の構図、ドーム状、洞窟状、渦巻形のヴィジョンへと展開していく。また崇高な山や廃墟の城の向こう側の夜明けや日没の太陽の光、ドーム状、洞窟状の雲の間から覗く太陽などは次第に際立ったものとなっていく。これらの構図と大気の表現によって表わされる「相鬩ぎ合う四大」はターナーの中心的テーマとなる。後になってはっきりと現れてくる独自のターナー的ヴィジョン〔図14−16〕が上記の初期の作品や習作に既に現われていることに注意したい。「相鬩ぎ合う四大」はダンスタンバラ城という、そのテーマにふさわしい場所を得て視覚化される。霧や靄を透かすように後景に現われる太陽はノラム城での多くのカラー・ビギニングのころには始まっていた。崇高な山や廃墟の城の向こう側の夜明けや、日没の太陽の光、嵐の空や海もノーサンバーランド、ウェールズに実験的習作の跡を見る。ドーム状の雲間から見える太陽の構図は、初めてロイヤル・アカデミーに出品した油彩画、《海上の漁師たち》Fishermen at Sea(1796年)〔図13〕に見ることができるし(夜景であり、月であるが)、ウェールズでの作品・習作にはこの構図の萌芽が随所に見出される〔図4、6、7、9−12〕。渦巻形のヴィジョンへ発展していくV字形の構図は、既にウェールズの風景を描い
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