鹿島美術研究 年報第23号別冊(2006)
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―500―theIII. ロマン主義の自然観、宇宙観――結びに代えてheliocentricなものへと替わった。太陽は新しい神話における神となる。しかしまた、stabilizing keystoneであると同時に、混乱の中心the heart of disquietである。一切のの自然の内的な動きは、対極的事象が絶えず対立し、衝突することから生まれる。すべてのものが不意に一つに結ばれた瞬間、調和に満ちた状態が生まれ、安定したパターンをとる。それは本質的には束の間のものでありessentially transient、ただちに新しいダイナミックなシンメトリーに席を譲る(注27)。また、リンゼイはここで光が各部分を結びつける重要な存在となっていることを指摘する。ものはそこに向かって流れるが、ふたたびそこからさっとばかりに戻ってくる(注28)。ロマン主義の宇宙観はニュートンNewtonが機械論的な宇宙、新しい光と色彩の理論を発見した後のイギリスで生まれた。トムソンの詩に表現された自然と宇宙はこのポスト・ニュートン的宇宙であり、それは、また、トムソン後のロマン派の詩人たちの自然観・宇宙観でもあった。18世紀後半以降のロマン主義の時代、イギリスにおいては新しい神話とパラダイスを創造することが必然的に求められた。自国の自然の中にピクチャレスクな風景を探したり、プッサン、クロード・ロラン風のアルカディア的風景を模倣し、オヴィディウスを通し古代ギリシアの神話を題材とするなどはこうした試みの現われであると言える。ロマン主義の自然観には汎神論的なものと理神論後の自然主義が渾然一体と包摂されていた。そこには自然の中にプロテスタント的な神を見る方向もあれば、無神論的不可知論へ向かう方向もあった。ターナーの場合は後者であるとも言えるが、また、一種の汎自然主義panphysismと言える要素を持つ。コペルニクス以来、コスモロジーは地球中心的geocentricなものから太陽中心的コスモスにおける人間の場所を保証する中世の覆いが取り去られると、人間は無限の空間に取り残され、コスミックな安定感を失うこととなる(注29)。ロマン派の詩に幾度となく表わされる底知れぬカオスabyss、無限の虚空voidの表象はこうしたコスミックな感覚の現われと言えよう。トムソンにおいては現われなかったその自然と人間の間の亀裂への不安感は、コールリッジ、キーツ、シェリーなどの後期ロマン派の詩に強く現われるようになる。ターナーは絵画においてそうした宇宙を視覚化した。キーストーン一つ一つの事象は、一点の光に収斂する。その光は各部分の安定をとる要石

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