鹿島美術研究 年報第23号別冊(2006)
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―507―姿の聖母が描かれている。ここでは、マリアはミケランジェロのサン・ピエトロ聖堂の《ピエタ》のようにキリストを膝に抱いてはいない。聖母は死せるキリストの体に触れることなく、一人で岩の上に座り上半身をひねりながら左肩のそばで両手を組み合わせ、祈りのポーズで上空を見上げている。聖母の姿全体が闇夜の荒れ果てた風景を背に画面の中央を大きく占め、彼女自身もより重要な意味を持つことが推測される。横たわる死せるキリストを底辺とし、岩の上に腰掛けたがっしりとした体つきのマリアは堅固な縦軸となり、2人物はほぼ正三角形を形成しモニュメンタルな構図を構成している。キリストは頭部を左側にして、大地に直接広げられた死者を包む白い布の上に横たえられ、わずかにこちら側に傾いている。ピエタ図においては非常に特異なこの構図をルネサンスの壁面墓碑の中に見出すことができる(注9)。死せるキリストと我が子の死を嘆き悲しむマリアを現したピエタと死者を葬る墓碑は、死という共通概念で結びつく。墓碑において、死者横臥像の上部に現された聖母は死者を見守り、生前に犯した罪の赦しを求め、魂の救済を願う死者を神にとりなす仲介者、代願者である。そこで、セバスティアーノの《ピエタ》にみられる聖母と死せるキリストの離された配置の視覚的源泉を、死者横臥像と聖母像が含まれる壁面墓碑の中に探ってみたい。死者横臥像の上部にトンドの聖母子、あるいはルネッタ部に半身像の聖母と幼児キリストを含む壁面墓碑は、まず15世紀前半のフィレンツェに出現する(注10)。15世紀後半にはパドヴァ、ベルガモ、ボローニャ(注11)、さらに1480年代以降、ヴェネツィアではロンバルドとその周辺の作家によって、死者横臥像と聖母像が含まれる壁面墓碑が制作され、その聖母像はモニュメンタルな姿を示すようになる(注12)。また、ローマにおけるこのタイプの壁面墓碑の中に、1460年代半ばからローマで多くの墓碑や祭壇などを制作して活躍したアンドレーア・ブレーニョとその工房作を多く見出すことが出来る(注13)。1496年にラッファエーレ・リアリオ枢機卿のもとに到着したミケランジェロが、枢機卿を介してブレーニョと直接知り合った可能性に着目すれば、ローマでのブレーニョ作の壁面墓碑を検討する価値はより高まるであろう(注14)。ブレーニョとその周辺の壁面墓碑において、聖母子と死者の横臥像がピラミッド型を構成する主な作例は、サンタ・マリア・デル・ポーポロ聖堂に5例(注15)、サンティ・アポストリ聖堂(注16)、サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ聖堂(注17)とサンタンドレーア・デッラ・ヴァッレ聖堂に1例ずつみられる(注18)。これらのブレーニョ周辺のローマでの作例中、2人物の配置とその形態がヴィテルボの《ピエ

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