鹿島美術研究 年報第23号別冊(2006)
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―510―を引くセバスティアーノの優れた描写力を示す絶好の機会となった。「大変美しい作品であった」(注30)ことから、下絵を与えたであろうミケランジェロのラファエッロへの対抗意識も満足させることになったはずである(注31)。3 ヴィテルボの《ピエタ》の聖母について神へのとりなしをするマリアは、原罪から免れた清浄な存在でなければならない。キリストの母、さらに神の母として崇拝され、マリアの存在は神聖化されていき、マリア自身も一切の原罪から免れてその母アンナの胎内に宿ったと信じられるようになる。しかし、この無原罪のお宿りが教義として正式に公認されるのは19世紀まで待たなければならない。中世、ルネサンス時代を通じて、この問題を巡り反対の態度を示したドメニコ修道会と聖母崇拝が盛んであったフランチェスコ修道会は対立することになる。そして、1476年に元フランチェスコ修道会長の教皇シクストゥス4世(在位1471−81年)によって、正式に無原罪のお宿りの祝祭が認められた(注32)。ヴィテルボの《ピエタ》は、フランチェスコ修道会の教会にあった礼拝堂のために制作された祭壇画であり、また、16世紀初頭のアウグスティノ修道会においてマリアと月は無原罪のお宿りの象徴として容易に認識されたことを考慮すれば、この《ピエタ》に無原罪のお宿りが内包される可能性はあるはずである(注33)。従って、マリアが原罪を免れた聖なる存在であることを示すために、通常ピエタ図にはみられない月を描き、無原罪のお宿りを連想させたと推測できるだろう。ローマで使用された15世紀末の時祷書(フィレンツェ、ラウレンティアーナ図書館)には、礼拝のポーズのマリアとそのシンボルが現された頁があり、マリアの右肩上方には月が位置している(注34)。こうした図は16世紀初頭のパリで刊行された時祷書にも見い出す事ができる。E・マールは、《連祷の象徴物に囲まれたマリア》(ローマで使用されたケルヴェ版『時祷書』1505年)〔図6〕が、ミケランジェロの《エヴァの創造》(システィーナ礼拝堂)の場面でエヴァに与えたポーズと同じように両手を合わせて礼拝している、と指摘している(注35)。この図は、1513年パリで無原罪のお宿りの教義を支持する時祷書の表紙にも使用されているので、無原罪のお宿り図であることに疑いはない(注36)。また、15世紀末から16世紀初頭のデューラーの木版画において、黙示録のマリアや三日月の上に乗る聖母子像が数点現されている。(注37)このように15世紀末から写本画や版画において、マリアと月が結びつく例が流布し始めたようである。しかし、セバスティアーノのように月夜の情景として描いた例は見当たらない。このヴィテルボの《ピエタ》において、「とりなしの聖母」は上方

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