―511―Vesperbildから派生しながら、死せるキリストの体は聖母マリアの膝の上から離れ大を仰ぎ見ることで、我々の視線を月へと導き、聖母が原罪を免れた存在であることを示唆しているように思われる。一般には無原罪のお宿り図像の原点とも言われているカルロ・クリヴェッリ《無原罪のお宿り》(1492年)やジローラモ・マルケージの1512年〔図7〕と1513年の《無原罪のお宿りと聖人たち》の作品では、両手を合わせて見上げる姿のマリアが描かれている。そして、祈りの所作はヴィテルボの《ピエタ》の聖母が示すように力強いものではないが、多くの無原罪のお宿り図に見い出す事が出来るものである。さらに近年、ライトボーンによって指摘された弟カルロに先行する無原罪のお宿りのための祭壇画であるヴィットーレ・クリヴェッリ作(1479年)においては、横たわる幼児キリストを礼拝する立ち姿のマリアが描かれている(注38)。以上のような初期の無原罪のお宿りの図像を《ピエタ》に導入することで、魂の救済を神にとりなす聖母が原罪を免れた清らかな存在であることを示しているのであろう。そして、岩の上に堂々と座る教会の象徴としての聖母の姿は、その男性的な肉体と上半身をひねった動作によって力強さが増幅され、教会の尊厳を誇示しているかのようである。おわりにセバスティアーノの《ピエタ》は、聖金曜日の夜の祈祷のための礼拝像、地に横たえられた。その聖母は、両手を組み合わせ月のある上空を仰ぎながら、哀れみと祈りの中にいる。従来のピエタ図にはないこの図像は、聖母が原罪を免れた清浄な存在であり、その聖母による人類救済のとりなしの役割を強調するために、壁面墓碑の構成と無原罪のお宿りの図像を採り入れたことに起因するのではないだろうか。キリストの側に描かれたプリムラは受肉、キイチゴは受難、切り株は復活の象徴であり、キリストの受肉から復活までを暗示している(注39)。このように、キリストの復活を暗示させることで罪の贖いが成就されることを予告する。この《ピエタ》の置かれた祭壇が「救い主キリスト」に捧げられたものであることからも、《ピエタ》に救済の願いが強く込められたことは明らかであると思われる(注40)。アウグスティノ修道会の神学者エジーディオと親しかった注文主ボトンティの思想を通して、聖母崇拝と救済への願いが、墓碑における聖母と死者横臥像の構成と無原罪のお宿り図像を介して《ピエタ》に反映されたのであろう。さらに、ヴィテルボの「救済の聖母」の奇跡を喚起する荒廃した村の夜景図は、ラファエッロの色彩に対抗
元のページ ../index.html#521