アンドレーア・ブレーニョとその工房については、以下の文献を参照。Lavagnino, E., ‘Andreaアンドレーア・ブレーニョは、1485年から枢機卿ラッファエーレ・リアリオが住居として改築を始め、すぐ後に教皇庁尚書院となったパラッツォ・デッラ・カンチェレリーアのための彫刻ルネサンスの壁面墓碑彫刻については以下を参照。Popo-Hennessy, J., La scultura italiana, vol. 2,il Quattrocento, Firenze 1964, pp. 41−54, 81, 91−94, 108−119. Seymour Jr, Ch., Sculpture in Italy 1400−1500, London 1966, pp. 156, 198.(ヴェネツィア、ローマの墓碑リスト)pp. 184−203. Wilk, S.,The Sculpture of Tullio Lombardo: Studies in Sources and Meaning,New York and London 1978. pp.6−33. Selvatico, P., Sulla architettura e sulla scultura in Venezia,Bologna 1980, pp. 203−204, 242−243.Humfrey, P., The Altarpiece in Renaissance Venice, New Haven and London 1993, pp. 195−196, 216−217, 231−232, 273−299. Arnoldi, F. N., La scultura del Quattrocento, Firenze 1994, pp. 102−104, 172−173. Manno, A., Sponza, S., Basilica dei Santi Giovanni e Paolo, arte e devozione, Venezia 1995, pp. 30-31, 34−36. Popo-Hennessy, J., Introduction to Italian Sculpture, vol. 2, Italian Renaissance Sculpture,London 2000, pp. 311−341, 139−179, 257−263, 268−270, 407, 412−414, 421−425. 石井元章『ルネサンスの彫刻 15・16世紀のイタリア』ブリュッケ、2001年、116−120、138−142、158−161頁。ドナテッロとミケロッツォ《教皇ヨハネス23世の墓碑》(1424年頃、洗礼堂)、サンタ・クローチェ聖堂のベルナルド・ロッセッリーノ《レオナルド・ブルーニの墓碑》(1446−50年)とデジデーリオ・ダ・セッティニャーノ《マルスッピーニの墓碑》(1453年)やアントーニオ・ロッセッリーノ《ポルトガル枢機卿の墓碑》(1461−66年、サン・ミニアート・アル・モンテ聖堂)などである。パドヴァでは、ピエトロ・ロンバルド《アントーニオ・ロッセッリの墓碑》(1467年完成、イル・サント聖堂)、ベルガモではジョヴァンニ・アントーニオ・アマーディオ《コッレオーニの娘、メデーアの墓碑》(1472−76年頃、コッレオーニ礼拝堂)、ボローニャにはフランチェスコ・シモーネ《アレッサンドロ・タルターニの墓碑》(1477年頃、サン・ドメニコ聖堂)など。ピエトロ・ロンバルド《統領ニッコロ・マルチェッロの墓碑》(1481−85年頃、サンティ・ジョヴァンニ・エ・パオロ聖堂)(1818年にサンタ・マリーナ聖堂から移動)、ジョヴァンニ・ブオーラ《ヤコポ・スリアーノの墓碑》(1488−93年、サント・ステーファノ聖堂)、トゥッリオ・ロンバルド《統領アンドレーア・ヴェンドラミンの墓碑》(1488−93年、サンティ・ジョヴァンニ・エ・パオロ聖堂)(19世紀にサンタ・ディ・セルヴィ聖堂から移動)、トゥッリオ・ロンバルド《統領ジョヴァンニ・モチェニーゴの墓碑》(1500−10年頃、サンティ・ジョヴァンニ・エ・パオロ聖堂)など。―513―acquistò Sebastiano grandissimo credito e confermò il dire di coloro che lo favorivano.”(「名前は不明だが、ヴィテルボ出身の教皇に大変引き立てられた人物が、ヴィテルボのサン・フランチェスコ聖堂の礼拝堂のために、死せるキリストと我が子の死を嘆く聖母マリアの作品をセバスティアーノに依頼した。セバスティアーノは、ミケランジェロの下絵をもとに、闇に包まれた村の風景を描き加えて、非常に丹念に仕上げて完成させた。それは大変美しい作品であったので、多くの人々から絶賛された。」)Vasari, op.cit.,1880. p. 568. 現在、サン・フランチェスコ・アッラ・ロッカ聖堂の左翼廊に残る作品のフレームに刻まれたラテン語碑文に注文主の名がみられる。“IOANNES BOTONTUS CAMERE/ APOSTOLICE CLERICUS SINGULARI/ ERGA DOMUMSUAM CHARITATE”この碑文の左右、フレームの台部分にはボトンティ家の紋章(右)とヴィテルボの紋章(左)がある。Bregno e la sua bottega’, L’arte, 27, 1924, pp. 247−263. Arnoldi, op.cit.,1994. pp. 109−125.
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