G比叡山延暦寺における仏像、仏画安置状況の復元―519―――現存仏像、寺誌史料、山王曼荼羅の悉皆調査による現状確認――研 究 者:大津市歴史博物館学芸員 寺島典人はじめに今回の助成にあたり、比叡山延暦寺に現存する仏像の調査と、山上諸堂、諸仏像を記す古記録、そして、比叡山の護法神、日吉社に関る仏画である、山王曼荼羅の現存作例の所在調査を行った。以下、知りえた知見を報告する。1.仏像、諸堂調査について今回は比叡山延暦寺の中心堂宇である、根本中堂に安置されている秘仏ならびに堂内の諸資料の実態調査を行うことが出来た(注1)。根本中堂は、延暦7年(788)に最澄によって建立された延暦寺(比叡山寺)最初の堂宇で、一乗止観院と呼ばれている。最澄が延暦4年(785)に比叡山に入り、東塔北谷虚空蔵尾の霊木をもって自刻した薬師如来立像や、七仏薬師如来檀を安置したことに始まるという。さらに、文殊堂と経蔵を併置したが、後に円珍によりこれらは一つの大堂に収められた形式となった。後に規模も拡大され、経蔵は堂外に移されて替わりに大師堂が置かれ、最澄、仁忠、円仁、良源の像が安置された。文殊堂には毘沙門天が安置され、それは太身と細身の2体の兜跋毘沙門天であったという。現在の根本中堂は、天台独特という内陣を下陣より約3メートル低い土間に作り、そこに中央に須弥檀を設け、その上に厨子を置き、秘仏の薬師如来を安置している。そして、向かって右には毘沙門檀を、向かって左には毘沙門檀と対になるようにして祖師檀が設けられ、それぞれ秘仏を安置している。薬師堂と毘沙門檀の間には文殊堂が、祖師檀との間には護摩檀が設けられている。さて、今回の調査は、根本中堂内の全ての堂宇、厨子内に安置している仏像の全ての実態を調査した。まず、中央の須弥檀上には、厨子を囲むように左右に6体ずつ木造十二神将立像ならびに梵天帝釈天が安置されている。大きさはそれぞれ2尺ほどで、江戸時代前半、根本中堂が造立された頃の造立と思われた。中央の厨子(三千院円融蔵「根本中堂指図」によれば「瑠璃檀」)内には、さらに白木の厨子があり、その中に本尊の薬師如来立像が、そして、白木の厨子の外側前方に、日光、月光菩薩立像各1体が向かい合うようにして安置されていた。この日光、月光像の存在は今まであまり報告されておらず、向かい合せの安置法も当初のものかは不明であるが注目される。
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