鹿島美術研究 年報第23号別冊(2006)
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H佐賀県有田市所在の朝鮮系窯址についての考察―531―――朝鮮前期白磁との影響関聯を中心に――研 究 者:韓国国民大学校造形大学 陶芸課 講義專担教授  金   寅 圭1.はじまり人類の造形文化の歴史で、陶磁器は東洋文明の始まりといわれる殷代から人間の生活と密接な関係をもち、諸民族の美意識を反映した多様性な器形をみせている。陶磁器は早い時期から東洋文化の中で、中枢的な役割をはたし、その中心には中国の存在があるといえるだろう。中国は早い時期から陶磁器の製作において多くの試図と発展を遂げ、諸国の陶磁の流れ及び生産体系において変化の動因を提供していた。したがって周邊の諸国は変化の一部を選択的に受容し、諸民族の美意識にふさわしい新しい陶磁文化を創出してきた。中国における草創期の白磁の出現時期はまだ確定されてないが、6世紀後半に中国の北方地域で作られたと推定している。そして、本格的な白磁は景徳鎮を中心に、青白磁の基調で、元代の14世紀前半に生産される。こうした元代の白磁は元史でみることができるように、文人の節約と倹素を強調した儒教の精神から出発したといえる(注1)。このような白磁の出現の背景は中国に止まらず、朝鮮に伝えられ、朝鮮の美術及び陶磁器における重要な指針になる。そして朝鮮前期の白磁(15・16世紀)は日本、佐賀県有田市地域の白磁の誕生に決定的な原因を提供するようになる。2.佐賀県有田市所在の朝鮮系窯址日本は1592年、壬辰倭乱を前後に、朝鮮の陶工を日本の西部地域へ連行し、唐津、伊万里、有田地域などで朝鮮の技術を利用し、白磁及び青花白磁を作るようになる。その中で、有田地域は朝鮮の陶工が白磁を集中的に生産した場所で、現在も約50個の朝鮮式窯址が残っている。代表的な窯址は天神森窯、小溝上窯、原明窯などがある。有田の朝鮮式窯址は1610−1630年代に集中的に開窯され、一つの窯址で陶器と白磁が同時に焼かれ、陶器の焼き方及び白磁の器形などにおいて朝鮮前期白磁(15−16世紀)の影響を明確にみられる。そしてこれらの窯址は日本、国内の白磁生産のみではなく、ヨーロッパへの輸出陶磁器を生産するようになる。すなわち、17−18世紀の日本における輸出陶磁器の生産主体は壬辰倭乱の前後に日本へ連行された朝鮮の陶工あるいはその子孫である。

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