鹿島美術研究 年報第23号別冊(2006)
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―532―結果的に、豊臣秀吉をはじめ、日本の為政者達が朝鮮陶工を連行したのは当時、白磁を生産することができなかった日本に白磁と白磁の文化をもたらせたいという願望の他、明・清の交替期に沈滞におちた中国の陶磁器に代り、日本で生産された白磁をヨーロッパに輸出し、莫大な経済的な利益を取る意図があったからである。3.朝鮮白磁窯址と佐賀県有田市所在朝鮮系窯址朝鮮前期白磁は15、16世紀に生産され、安定的な器形と美しい文様で、東、西洋から喝采をうけている。こういた朝鮮前期白磁は韓国、京畿道の道馬里、牛山里窯址を中心に壷、瓶、鉢など多様な器形が祭器と実用器として生産してきた。朝鮮前期白磁は1420年頃、本格的に生産され、1425年、中国の宣徳年間、中国から白磁を要求されるぐらい発展し、1440−50年、白磁を土台にコバルトで文様をえがいた青花白磁を生産するようになる。朝鮮前期白磁は壷、瓶、鉢、皿、馬上杯、耳杯など、器形が多様であり、中国、元代白磁の器形と似て、朝鮮前期白磁の淵源が元代白磁から出発してといえる。さらに韓国、京畿道の地域を中心で生産された朝鮮前期白磁は同じ時期の韓国の南西部地方で生産される白磁の原形になる。そして壬辰倭乱を前後に、韓国、全羅道・慶尚道地域の陶工が日本へ連行されることで、全羅道・慶尚道の白磁技術に日本へ伝来され、日本において陶器及び白磁の出現に絶対的な影響を与える。このように白磁は中国の元代から本格的に出発し、韓国をへり、日本へ拡大されている。この過程は東アジアにおける白磁あるいは白磁文化の拡大といえる。特に朝鮮前期白磁の技術が伝えられた日本の西部地域には現在、朝鮮系窯址が相当に残り、最近に行われた一連の発掘で朝鮮前期白磁の技術と器形が日本白磁の原形になっていたのを確認することができる。4.出土品からみた朝鮮前記白磁と佐賀県有田市所在の朝鮮系窯址佐賀県、有田市所在の朝鮮系窯址で出土された陶器と白磁の器形は壷、鉢、皿、杯などがある。その中で鉢、皿、杯など、実用的な器形は形における朝鮮白磁からその起源をさぐることができる。具体的な朝鮮前期白磁と佐賀県、有田市所在の朝鮮系窯址から発掘された白磁を考察すると次の通りである。

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