鹿島美術研究 年報第23号別冊(2006)
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―533―1)鉢朝鮮前期白磁の鉢は軟質と硬質に分けられる。軟質の鉢は代表的に韓国、京畿道の牛山里窯址で確認することができる。外反された口部と均衡がとれた胴体が特徴で、鉢の一部は黒象嵌の唐草文様が施され、元代の白磁にみられる陰刻あるいはコバルトの草花文と同じで、同時代性を感じられる。硬質の白磁鉢は、その大部分は文様がなく、一部に黒象嵌あるいはコバルトで簡略な文様がえがいている。そして器形は安定で、口部は少し外反し、高台は逆三角形で精巧に作られた。高台の内部には天、地、玄、黄など多様な形態の銘文をみることができる(注2)〔図1〕。朝鮮前期の鉢は白磁のほか、象嵌青磁と粉青沙器でみることができ、14世紀から本格的に生産されたと考えられる。こうした朝鮮前期白磁の鉢はその形態における元代の青白磁及び白磁と類似し、元の陶磁器から起源していることが分る。そして京畿道地域で作られた朝鮮前期白磁の鉢は韓国、南西部の全羅道と慶尚道をはじめ、地方白磁の窯址で作られた鉢の典型になる。さらに全羅道あるいは慶尚道に散在する白磁窯址は粗質の陶器及び白磁の鉢あるいは碗を生産し、日本福岡県の高取、佐賀県の唐津、伊万里、有田、長崎県の平戸などの朝鮮系窯址で生産された鉢、碗の起源になる〔図2〕。特に日本、西部地域に所在する朝鮮式窯址で作られた陶器は形あるいは焼き方において朝鮮前期白磁と非常に似ている(注3)。現在、日本の西部地域に所在する朝鮮系窯址で、朝鮮前期白磁の鉢あるいは碗と似ている白磁を生産した窯址は伊万里、有田で確認することができ、時期は16世紀末または17世紀初と推定されている(注4)。これらの窯址の中、17世紀前半に生産された佐賀県有田市の天神森、山辺田窯址などで作られた陶器質の鉢は形が朝鮮前期白磁の鉢と非常に似て、焼き方も同じで、朝鮮の白磁技術が日本の西部窯址に移動していることを確認できる(注5)〔図3〕。その他、日本の西部地域に所在する朝鮮系窯址では陶器以外、朝鮮前期白磁の影響を感じられる口部が外反されてない素朴な形の白磁鉢を量産し、1640−1740年の間、ヨーロッパへ輸出する(注6)。結果的に朝鮮の陶工が生産の主体になり、朝鮮前期の白磁を原形として、日本、朝鮮系窯址で生産された白磁はヨーロッパへ輸出する。実際に17、18世紀に流行した西洋の日本趣味あるいは日本陶磁器の流行の根底には朝鮮前期の白磁の存在及び日本で朝鮮前期の白磁を原形に、朝鮮の製陶技術で白磁を生産した朝鮮陶工の役割が大かったと考えられる。

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