鹿島美術研究 年報第23号別冊(2006)
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注・・・元興朔漠代有拝天之礼衣冠尚質祭器尚純・・・『元史』巻七十二・志第二十三・祭祀一 天、地、玄、黄の銘文は物の順番と数量の意味としてつかわれたと推定している。■日本、西部地域に所在する朝鮮系窯址で生産された鉢あるいは碗の一部は茶碗としてつかわれ、現在の朝鮮風の白磁に基礎した鉢や碗の製作は日本、西部の現代陶磁器の主要な流れの一つを形成している。■大橋康二『世界をリードした陶磁器』, 新泉社, 2204■村上伸之「肥前陶磁の源流」『国立歴史民俗博物館研究報告』, 第94集, 2002■有田市を中心に生産された日本初期白磁の形と文様において中国のものと違い、朝鮮の雰囲気―536―えられる。5.むすび1592年、日本の壬辰辰倭乱の前後に日本へ連行された朝鮮陶工が日本、西部地域の陶器や白磁の出現に絶対的な影響を及ぼしたのは有田市の朝鮮式窯址やその出土品を通じて明らかすることができる。朝鮮式窯址で出土された白磁の鉢、皿、杯などの実用的な器形は全羅道・慶尚南道の朝鮮前期の白磁からその原形を探ることができる。しかし北朝鮮地域の朝鮮前期白磁が日本の西部地域の朝鮮窯址に何の影響を及ぼしたかについてはまだ詳細な資料や報告はない。特に日本西部の有田の天神森窯址などで生産された白磁の縁の皿と小型皿の原形は韓国、京畿道広州市道馬里窯址、全羅南道光州の忠孝洞窯址などで確認することができ、日本、西部地域にある朝鮮式窯址で生産された白磁は朝鮮前期の白磁、特に京畿道、全羅南道、慶尚南道の白磁をモデルにして作られたのを確認することができた。そして日本、西部地域にみることができる朝鮮式白磁は朝鮮の技術を土台に、日本の国内用の白磁生産にとどまることではなく、ヨーロッパへの輸出用陶磁器を生産し、その主体は朝鮮陶工あるいはその後孫であった事実は日本の輸出陶磁器の根本と展開を理解することで非常に重要なことである。これから日本、西部地域所在の朝鮮式窯址で生産された陶磁器の器形と文様を朝鮮の15、16、17世紀の白磁のそれらと比較研究ができれば、日本、西部地域所在の朝鮮式窯址で、朝鮮前期白磁の要素及び移行過程を理解することが可能になり、日本、輸出用陶磁器の研究において新しい基準を提供すると考えられる。郊祀上

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