鹿島美術研究 年報第23号別冊(2006)
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―543―通称は吉。「黄氏香」朱文印〔種徳6〕も字に因んだものであるとわかる。通称の吉については、例えば明治14年(1881)1月の《夏景山水》の落款に「辛巳一月小寒前寫於仙台行館方壺天吉」とあるように「方壺天吉」の形で記されることが多いが、今回の印譜では「大吉長壽印信」白文印〔種徳9〕や「大吉長壽之印」白文印〔種徳10〕のように「吉」「天吉」ではなく「大吉」である。なるほど従来の略伝の類では方壺の名称に関して「字は大吉」あるいは「通称は大吉」と伝えるものが多かったが(注5)、根拠は印文にあったろうか。しかし印譜の二例に限れば「大吉」の語は必ず「長壽」の語を伴う。その点に注意するならむしろ「大吉なれば長寿なり」とか何かそういった語句として読まれるべきではないだろうか。似た例が「天賜吉」朱文印〔種徳12〕だろう。「天」は姓の「天野」の略、「吉」は通称だが、間に「賜」が入り「天は吉を賜ふ」の語句を作る。「大吉長壽印信」や「大吉長壽之印」にしても、「天賜吉」にしても、方壺は自分の名や字を別の語句に作り変えていると思われる。同じ長寿の印でも「天方壺長壽」白文印〔種徳13〕の場合はそれとは違う。天方壺という主語に長寿という述語を結び付けたに過ぎない。とはいえ以上の諸例からわかるのは当時の方壺に長寿への関心があったことだ。彼は明治16年(1883)で60歳であり、ここに取り上げた作品群をその前後の数年間に制作している。自身の60歳を祝賀する意味から「大吉長壽」や「天賜吉」の印を作成し愛用したに相違ない。同じ「吉」でも少々違う意味を担うのが「賣吉翁」白文印〔種徳14〕であるといえる。「吉を売るの翁」と読めるから、これは書画を描いて販売して生活の資としていた方壺自身を表しているだろう。ここにいう「吉」は書画の意であると思われる。これと似た響きを持つのが「賣主華菴」白文印〔種徳15〕だが、売る対象が「主として華」であると述べられている。このことに該当する記事が先述の明治17年(1884)1月31日付の方壺自筆履歴書に出てくる。「近年自ラ四時ノ草花ヲ栽培シ売テ以テ生計ヲ営ミ売花翁ト号ス」と記したあと、「書画ハ当今主トスル所ニアラス」とも付け加えているのだ(注6)。要するに書画ではなく主として花を売るということであり、「賣主華」ということに他ならない。そして「賣主華菴」印の捺された《水墨山水》は明治13年(1880)の作であるから、「売花翁」としての生活がその頃には既に始まっていたことがわかる。「群鶏艸堂」朱文印〔種徳4〕も売花翁としての生活に関連しているだろうか。草花の栽培の延長上に野菜のささやかな生産のほか養鶏をも含めて考えるなら、殆ど自給自足的な生活の姿を想像できる。

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