―544―「天埜橘印」白文印も「黄氏香」朱文印も何れも角田家旧蔵コレクションでは《漁樵他の印章と使用の傾向今、基準作としての角田家旧蔵コレクションにより最小限の印譜を得たが、次にここに掲げた印章の使用法について考えた上で、さらに広く他の作品群に見出せる印章とも比較・照合してゆきたい。その際には、今回の作業のため調査した作品群の中でも制作年の明確なものだけを視野に入れたい。なぜなら今回の研究の目的は方壺研究のための基礎を少しでも確実にすることにあるからである。ちなみに今回の作業で調査した角田家旧蔵12点以外の54点中、制作年の明確なものは29点43幅のみである。(1)「天埜橘印」白文印・「黄氏香」朱文印最初に取り上げたいのが印譜中に掲げた「天埜橘印」白文印〔種徳1〕と「黄氏香」朱文印〔種徳6〕。これら二つは殆ど同じ位の大きさであり、また二つ合わせて姓と名と字を表すものであるから、恐らくは対で使用されるべきものなのだろう。実際、問答》、《淡彩牡丹》、《雨中枇杷》の3点のみに用いられているが、何れも二つを一対のものとして使用している。《漁樵問答》は明治13年の作で《雨中枇杷》が明治17年の作であるから、この5年間を含めて長期間にわたり愛用されたものと想像される。これら二つの印を、角田家旧蔵以外の29点の中に探してみれば、明治14年4月作の《米法山水図》と明治15年4月作の《牡丹図》(ともに愛媛県美術館蔵)に同じ一対を見出すことができる。なお、両作品ともに「天埜橘印」白文印と「黄氏香」朱文印の一対のほか「群鶏艸堂」朱文印を伴う。印譜中の「群鶏艸堂」朱文印〔種徳4〕と概ね一致しているが、両作品の印に共通する欠損部分が印譜中の印にない点は気になる。ともあれ「天埜橘印」白文印と「黄氏香」朱文印に関しては角田家旧蔵品中の3点と両作品は一致していると思われる。注目しておきたいのは、角田家旧蔵品におけるこの一対と少し異なる一対が若干あることだ。一つは明治14年9月の《雪中溪山》(愛媛県美術館蔵)における「天埜橘印」白文印と「黄氏香」朱文印。一見よく似ているが、別物である。明治13年の《李白観瀑図》(愛媛県美術館蔵)における「天埜橘印」白文印と「黄氏香」朱文印では文字が丸みを帯びていて、角田家旧蔵品における一対とは一見して違うとわかる。明治10年の《杉山水》(愛媛県美術館蔵)では字形が違っている。先にも述べたように「天埜橘印」と「黄氏香」の組み合わせは方壺の姓と名と字を表すものであるから、この一対の印は長期間にわたり好んで用いられたことが想像される。そうであれば同文による異なる一対が複数種類あった可能性も充分に考えられる。今後もっと多くの確かな事例が出てくれば差異の意味が明らかになるかもしれない。
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