鹿島美術研究 年報第23号別冊(2006)
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(2)「天埜橘」白文印・「黄香」朱文印明治17年(1884)9月の作《前後赤壁図》双幅のうち《後赤壁図》には「天埜橘」白文印〔種徳3〕とともに円形の朱文印〔種徳5〕が捺されている。方壺の字「黄香」(3)「大吉長壽之印」白文印・「方壺翁」朱文印今見た《後赤壁図》には、「天埜橘」白文印・「黄香」朱文印のほか「天賜吉」朱文印〔種徳12〕、「大吉長壽之印」白文印〔種徳10〕、「方壺翁」朱文印〔種徳19〕が使用されている。この「大吉長壽之印」白文印は、角田家旧蔵コレクションでは明治13年(1880)12月の《鶏図》のほか制作年不詳《濃彩花卉》にも使用されている。角田家旧蔵の方壺作品は、制作年の明確なものに限れば何れも明治13年、14年と17年のものであり、方壺60歳前後の作である。長寿の慶びに関連した印文を持つ印が数種あるのもそのゆえだろう。そのことについては先にも述べた。《濃彩花卉》も少なくとも―545―を刻したものかと推測される。これがもし「黄香」で間違いなければ、上に取り上げた「天埜橘印」白文印・「黄氏香」朱文印の組み合わせと同じく、二つ合わせて姓と名と字を表すものということになる。これらと一致する印は両方ともに明治15年(1882)9月の作《西園雅集図》(愛媛県美術館蔵)に見出せる。ここでも同じように一対で使用されている。この前後か、それ以降の作品であることは間違いない。《鶏図》には「大吉長壽之印」のみ捺されているが、《濃彩花卉》では《後赤壁図》と同じく「方壺翁」朱文印〔種徳19〕も一緒に使用されているので、「大吉長壽之印」白文印〔種徳10〕と「方壺翁」朱文印〔種徳19〕はもともと対で使用されるべきであるのかもしれない。ちなみに、この「方壺翁」朱文印と少し似た印が明治21年3月の《芦雁図》(愛媛県美術館蔵)にあるが、全く別のものであり、「白雲外史」白文印との組み合わせで用いられている。(4)「大吉長壽印信」白文印・「世間安楽為清福」白文印上に見た「大吉長壽之印」白文印に比べて少し大きめの「大吉長壽印信」白文印〔種徳9〕についても、特徴的な使用法が認められる。角田家旧蔵品中ではそれは明治13年の《彩色山水》と明治14年の《夏景山水》に用いられているが、何れにおいても等しく「世間安樂爲清福」白文印〔種徳7〕と対をなしている。「大吉長壽印信」が方壺自身の長寿の幸福を表現しているのに対して「世間安樂爲清福」は広く世の中の平和の幸福を表現している。この「大吉長壽印信」白文印〔種徳9〕と殆ど同じ印が明治22年(1889)12月の《春溪游禽図》(京都市内個人蔵)に捺されていて、ここでも「世間安樂爲清福」白

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