(5)「丹青華艸春描畫水墨林泉秋寫成」白文印「賣主華菴」白文印〔種徳15〕という極めて魅力的な、しかし稀少な印章の捺された明治13年(1880)冬の《水墨山水》には他に「丹青華艸春描畫水墨林泉秋寫成」白文印〔種徳11〕、「豫章画史」白文印〔種徳21〕、「白雲斤」白文印〔種徳16〕が用いられている。「丹青華艸春描畫水墨林泉秋寫成」白文印は同じ角田家旧蔵品の中では明治14年(1881)1月の《夏景山水》に使用されている。(6)「方壺書画」白文印・「白泉□処右居」白文印以上、角田家旧蔵品中でも制作年の明確な作品の印を取り上げてきたが、制作年不―546―「大吉長壽印信」と「世間安樂爲清福」の一対は、天野方壺印譜に掲げた二つの印と文印〔種徳7〕と殆ど同じ印章と一対をなしている。《春溪游禽図》に見るこれら殆ど一致しているかに見えるが、文字がところどころ細く見える。朱の付き方の差と片付けてよいかもしれないが、一応は注意しておく必要がある。作品の出来栄えに関していえば《春溪游禽図》は画家の傑作として評価されるにも足るものであるだけに、慎重に検討する必要がある。なお、明治12年(1879)7月の作《天仙独秀図》双幅(松山市内個人蔵)のうち左幅にも「世間安樂爲清福」白文印が用いられているが、どの例とも厳密に一致しては見えない。判別し難い程に酷似した複数組の印章があったのか、それとも朱の付き方など使用時の状況に起因する差の範囲内であるのか。角田家旧蔵品以外ではそれは明治12年(1879)7月の《寿老人》三幅対の3幅、同15年(1882)4月の《牡丹図》(ともに愛媛県美術館蔵)に用いられている。既に見たとおり《牡丹図》には他に「天埜橘印」白文印〔種徳1〕と「黄氏香」朱文印〔種徳6〕が使用されている。他方、《寿老人》三幅対には「大橘之印」白文印と「黄香」朱文印が使用されている。これと同じものは角田家旧蔵作品にはないが、明治11年(1878)9月9日の作《雲烟松鶴図》(愛媛県美術館蔵)に見出せる。印章だけで作品を判断するのは必ずしも適切ではないが、これらには基準作に準じる真理性を認めてよいかと思われる。詳の作品に見る印の中にも重要なものがある。《濃彩菊》の「方壺書画」白文印〔種徳20〕を挙げたい。これと一緒に用いられた白文印の読みがわからないが、暫定的に「白泉□処右居」白文印〔種徳17〕と記述しておく。さて、「方壺書画」白文印と似た印は明治10年(1877)10月の《四君子之図》、同年11月の《雪中山水》、同12年2月の《松ニ名花》、同年4月の《白雲野水之図》、同16年5月の《枯木水仙》、同17年の《蓮池観音舟遊之図》(以上6点は愛媛県美術館蔵)、同年7月の《天仙独秀図》双幅
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