鹿島美術研究 年報第23号別冊(2006)
57/589

注「美術館評議委員会に対する岡倉氏の演説」(『岡倉天心全集2』、平凡社、1980年5月、230頁)に、「彼ら(=六角紫水、岡部覚弥)の目的は保存と修理であるが、修復ではない。」とあるので、ここでは「修理」の語を用いる。 「紫水自叙傳」『日本漆工』日本漆工協会、1950年7月村野夏生『漆の精 六角紫水伝』、構想社、1994年2月■この時の調査に基づき、翌年または翌々年に古社寺保存法下での国宝指定を受け作品には以下―47―中に準備した『漆工芸図録』の作品目録(注7)も、天心によって序文と『漆工史』が書かれながら、天心の死(大正2年/1913)によってついに出版されるには至らなかった。帰国直後の紫水は、漆工制作にひたすら専念し、文展(第2回)に漆画を出品するが、落選ならぬ鑑査取り下げとなる。絵画と彫刻中心の当時の文展に、漆工芸分野は未だその場を得ていなかったからである。美術院五浦移転時代の天心の関心・批評もまた専ら絵画制作に向けられており、かつての美術院正員総代とはいえ紫水との関係は、大観・春草との関係に比べ稀薄化したようにみえる。当時の紫水は、漆芸制作とその事業的展開「日進塗料研究所」に没頭し、晩年の天心の文化財保存・ボストン美術館関連の活動からは距離をおいた。しかしやがて「古社寺巡礼日記」時代の成果は、大正後半期に至っての、一連の国宝漆工芸品の模写による古典技法研究と楽浪漆器研究となって結実したともいえるであろう。紫水が模写している『国宝日光輪王寺蔵住の江蒔絵手箱』との最初の出会いは、明治35年調査のこの「巡礼日記」にこそみられるのである。紫水の古典作品研究の源点としても、その調査日記類はさらに検討されるべきと考える。のものが含まれる。《明治36年4月15日指定》福島県 願成寺(白水阿弥陀堂)阿弥陀如来及び両脇侍像勝常寺薬師堂(勝常村薬師堂)、同 薬師三尊像、同 十一面観音像延命寺地蔵堂岩手県 中尊寺大長寿院螺鈿八角須弥壇天台寺聖観音立像宮城県 竜宝寺(八幡宮別當寺)釈迦如来立像山形県 吉祥院千手堂観音立像上杉神社絹本毘沙門天画像栃木県 探幽筆東照宮縁起輪王寺蒔絵手筥、同住ノ江蒔絵硯箱、同紺紙金泥阿弥陀経《明治37年2月18日指定》

元のページ  ../index.html#57

このブックを見る