―561―五台山造像関連年表(五代〜北宋・南宋)西暦年号呉越/天福3年北漢/天会11年北宋 / 太平興国5年 正月 北宋 / 太平興国5年 4月15日北宋 / 太平興国8年7月15日 北宋 / 雍熙2年北宋 / 景徳4年北宋 / 慶暦〜皇祐3年北宋 / 慶暦8年春3月北宋 / 元祐2年7月北宋 / 元祐5年年代不明年代不明真容院の超化大師、呉越国に赴き曹氏をして五台山文殊大士・一万聖衆菩薩に供物をほどこす。太宗が山西省地域を平定した際、広慧大師が太宗に五台山図を渡す。太宗が山西省地域を平定した際、睿諌大師が謁見し、五台山の興隆を奏聞。額を下賜され太平興国寺と名づける内侍張廷訓を五台山に遣わし、金銅文殊萬菩薩像を造り、真容院に安置する。五台十寺を修造することを命ずる。沙門芳潤を十寺の僧正とする。勅使蔡廷玉、楊守遵を五台山菩薩院に遣わし、僧正浄業とともに菩薩院を修造させる。(太平興国7年8月22日に菩薩院の修造を終える)。太平興国2年より成都にて写造していた第五大蔵金 字経を五台山菩薩院に安置する。五台山霊鷲寺の塔を重ねて修飾を加える。内庫の一萬貫をもって加えて菩薩院をさらに修造させ、二層十三間の大閣を建て、真容菩薩像を安置する。太宗、真宗、仁宗の三代にわたって御書180軸、天竺字源7冊を真容院に送る。勅使黄門謝禹圭を遣わし、真容院に宝冠を送る。 張商英が五台山秘魔巌にて文殊大士が金色光中にあるのを見る。五台山竹林寺火災。火災の後、定州黄山において玉石の釈迦文殊普賢などの十二尊を造り、竹林寺へ送る。紹聖5年(1098)に、修造成る。山門僧法慧、瑞相殿北に大閣を建立し、慮舎那仏像と四周に萬聖像を造立する。事項出典広清涼伝広清涼伝広清涼伝仏祖統紀43広清涼伝広清涼伝広清涼伝広清涼伝広清涼伝広清涼伝仏祖統紀46広清涼伝広清涼伝93996798098098398510041041〜1051104910891090
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