―53―次に長文系テクストの初期的様相を伝える絵巻である安城市歴博本〔図8〕をみると、その画面は短文系諸本よりもかなり横長である。描きこまれたモティーフの種類や表現にも相違があるが、画面向かって左には、唐櫃の重要性を説く場面と昇天の場面とが、短文系諸本と同様の位置関係で描かれている。大きく異なるのは画面右で、そこには[資料2]の傍線部にあるとおり、川にかかる橋の上に、楽を奏でながら来迎する天人の姿がみえる。したがって、安城市歴博本では、短文系諸本の図様を踏襲しつつも画面を右にのばして横長とし、そこに長文系テクストに対応する天人来迎の場面を付加していることは明らかである。また安城市歴博本の画面において注意を要するのは、天人来迎が画面向かって右端に配され、それに先立つ唐櫃の重要性を説く場面が左端に配されていることである。絵巻の時間軸が一般に右から左へと展開することを考慮すると、天人来迎を画面右端に配すのは不自然といわざるをえないが(注15)、こうした配置も短文系諸本の図様を踏襲した結果とみられる。つまり、長文系テクストの天人来迎のくだりにみえる「河」とは大蛇があらわれた河のことであるが、前述のように短文系テクストでは大蛇は「池」からあらわれたとされ、その「池」が短文系諸本では画面向かって右端に描かれていた。安城市歴博本はこれを踏襲して河を画面右端に配し、そこに来迎する天人を描いたために、絵巻の時間軸と齟齬をきたすことになったと思われる。次に個人蔵本〔図9〕をみると、画面向かって右には吹抜屋台の屋内で娘に唐櫃の重要性を説く天稚彦、その左側の屋外では、天稚彦が楽を奏でる天人とともに雲に乗って昇天する様が描かれている。屋外の昇天群像の下には水流が描かれており、これは長文系テクストにみえる天人が来迎した河を示している。また、画面右の屋内には、天稚彦と娘にかしずく4名の侍女が描かれている。つまり、個人蔵本は来迎する天人の様子は省略し、画面右に唐櫃の重要性を説く天稚彦、それにつづけて画面中央に昇天する天稚彦とともに天人を描きこんでおり、安城市歴博本と比較すると、物語展開と絵巻の時間軸が一致している。一方、長文系冊子本の中之島本〔図10〕の画面を確認してみると、見開き画面向かって右側に天稚彦と娘が坐す建物を、左側に来迎する天人を配しており(注16)、建物内の天稚彦と娘、およびその傍らに立つ侍女は、いずれも視線を天人のほうへと向けている。このように、中之島本は来迎した天人を天稚彦らが見やる場面を描いたものである。安城市歴博本はテクストにみえる3つの場面を一画面中に描きこみ、その際に短文系諸本の図様を踏襲したために、ある種の齟齬をきたしていた。これに対して個人蔵
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