鹿島美術研究 年報第23号別冊(2006)
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―62―かと補助役の加2 貝摺奉行所と「御道具図并入目料帳」調査・研究の目的と方法本研究では、①「御道具図并入目料帳」の分析によるa漆技法の復元と、②これを実験的に検証する作業を中心に、③新たな琉球漆器情報を収集する計画を立てた。いずれも、「御道具図并入目料帳」の分析から得られた琉球漆器製作の実態を検証する目的がある。技法復元の作業は、かつて私が行った技法復元の予備的研究(注6)をふまえたものだが、そのためには「御道具図并入目料帳」に記載された膨大な数量情報をデータベース化することが必要である。このデータベース化の概要については、すでに漆工史学会誌で報告(注7)したが、今回、再点検のうえ浦添市文化財調査研究報告書としてCD添付で刊行することができた(補注)。このデータベースをもとに、6点の漆器について塗り工程別の使用数量を復元し、これらの材料が単位面積当たり数量において数値が完璧といえるほど共通していることを確認した。データベース化と数量分析に時間を要したため、製作実験は予備的作業で終わらざるを得なかったが、「御道具図并入目料帳」から王国時代の漆芸技法が正確に復元できる見通しを得ることができた。新たな琉球漆器情報の収集では、旧仙台藩士の家筋に伝えられた琉球漆器(仙台藩白老元陣屋資料館所蔵)と、鹿児島県南さつま市加世田の竹田神社に伝世された琉球漆器について現地調査を行った〔図1〕。この情報収集を調査研究計画に組込んだのは次の理由からである。私は、「御道具図并入目料帳」を分析して、貝摺奉行所製作の琉球漆器がサイズ・塗色・文様などにおいて著しく定型化されていたことを論じたが(注8・9)、これは現存する琉球漆器でも確認できるか検証する必要があると考えているからである。そのための新資料収集である。仙台と鹿児島で伝世されていた2つの琉球漆器は、いずれも琉球国内で使われる祭具であった。この調査は、琉球の祭具がなぜ琉球国外で伝世されてきたのかという新たな問題を提起することにもなった。この問題を含め収集した新情報については、別途報告する予定である(注10)。貝摺奉行所と「御道具図并入目料帳」19世紀の貝摺奉行所は、王府の塗り物と絵師の業務を所管していた。貝摺奉行のも、絵ひっしゃとに、事務職の筆者せい勢ぬしどり筆者、貝摺師(塗師)を指揮する貝摺師主取

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